エルダー2020年4月号
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2020.432[第90回]久保五郎左衛門は、長州藩の武士である。が、普通の藩の武士とは違って小さな塾を開いていた。萩城からかなり遠い所にある丘の上だ。敷地内に、大きな松の木があった。その松にちなんで、五郎左衛門は自分の塾の名称を、「松下村塾(松の下にある塾)」と命名した。松下村塾は、普通の塾と違って単に学問を教えるだけではなかった。五郎左衛門は、塾生たちを積極的に藩に推薦した。さらに、すでに藩士として仕事をしている者の身分が低ければ、一段でも上にあがり、給与もあがるように世話もした。だから、五郎左衛門の経営する松下村塾は、現在でいえば、〝就職や昇格・昇給などの世話〞をすることも多かった。そのために、貧乏藩士の家庭では、「松下村塾に行けば、必ず藩に就職の世話をしてくれるし、またすでに藩で仕事をしている下級武士の昇格や昇給の世話もしてくれる」と評判を立てていた。そういう実利をともなっていたから、入塾させる家庭も多かった。ところがある日突然、五郎左衛門が塾生とその保護者に対し、「塾の性格が変わる。松下村塾は、いままでのような就職や、昇格・昇給の世話はしなくなる。代わりに、もっと長州藩の改革や、この国の改革を主眼として教えるようになるだろう」といった。塾生とその保護者たちは顔を見合わせた。第一次松しょう下か村そん塾じゅく

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