エルダー2020年4月号
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高齢者に聞く第 回2020.434仕事のおもしろさに魅せられて私は宮城県石いしのまき巻市の生まれです。東日本大震災では、中学校時代の同級生が4人犠牲になっています。中学校を卒業すると、家の事情もあって東京に働きに出ることになりました。当時はクラスのなかで進学と就職の割合が半々でしたから、就職することに抵抗はなく、むしろ東京で暮らすことに胸が高鳴りました。ところが、親戚の紹介で入社した会社をたった2カ月で辞めることに……。餞せん別べつをたくさんもらって賑にぎやかに送り出された身としては、このまま郷里に帰ることはできません。心機一転、ほかの会社へ就職しようと覚悟を決めたとき、これはもう縁というしかないのですが、同郷の人が働いていた「小出ロール鐵工所」を紹介してもらいました。1967(昭和42)年6月に、東京工場に入社し、今年で勤続53年を迎えます。入社当時は工場の上に寮があり、寮と工場を行き来するだけの生活でしたが、楽しい日々でした。何よりも「研けん磨ま」という仕事がおもしろくて仕方がなかったのです。会社の仕事は何か形あるものを生み出すことではありませんが、自分が研磨したロールが使われて、自動車のボディや家電製品がつくられていきます。ものづくりの楽しさに魅了され、気がつけば半世紀が過ぎていました。小出ロール鐵工所は1914(大正3)年に創業。国内の大手製鉄所からは、ロール製作技術への高い信頼を得ている。顧客のものづくりを支えるため、「お客さまの操業を止めない」を合言葉に、昼夜2交代制で稼働し続けている。失敗は次のステップへの肥やしに主力事業は圧あつ延えんロールのメンテナンスで、圧延ロールの研磨・加工を中心に2014(平成26)年、100年企業の仲間入りを果たしました。「圧延」とは、熱した鋼はがねを回転するロールに通し、圧力を加えて所定の形状にすることです。鋼材の製造工程には必ずこの圧延があります。このロールの修理や加工の一つには研磨という作業があり、私が入社してすぐ、触れた世界です。何の知識もない15歳の若造を先輩たちが育ててくれました。いまは技能検定制度がありますが、当時は先輩たちのやり方をひたすら見て仕事を覚えたものです。幸い同郷の人がたくさん働いていたことも励みになりました。研磨は自分用の機械を与えてもらえますし、メインの機械も操作してみたいという向上心が、半世紀働き続ける原動力になったのではないかと思っています。もちろん失敗も数知れません。ただ、失敗を恐れず、肥やしにしていく気持ちが大切だと、株式会社小こ出いでロール鐵てっ工こう所じょ製造部生産管理担当部長今こん野の 信まことさん72 今野信さん(68歳)は、ものづくりの現場ひとすじに半世紀を歩き続けてきた。真面目な仕事ぶりが認められ工場長に着任。その後営業や総務畑を経験し、再び工場長に戻る。学歴が重視されがちな社会のなかで実力を発揮してきた今野さんが、生涯現役の極意を語る。

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