エルダー2020年4月号
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2020.462「何よりも洋裁が好き」という小嶌さんは、自身の服もすべて自ら仕立てる。「人に見られても恥ずかしくないように、自分の服といえども気が抜けません」代の名工)」に選出された。いまでこそ服といえば既製品があたり前だが、日本で既製の服が普及したのは1960年代のこと。それ以前は、洋服は家庭で手づくりするか、仕立屋に注文してつくってもらうのが普通だった。「母がとても器用な人で、洋服を縫ったり編み物を編んだりして、子どもの洋服も全部つくってくれました。そんな母の姿を見て育ったため、自分も自然に洋裁の仕事に就こうと思うようになりました」1961(昭和36)年に高校を卒業し、地元の洋装店に就職した。「よい服はオーダーメイドしかない時代でしたから、とても忙しく、休日も満足に取れないような日々が7〜8年続きました。でも、そのころに洋裁の技術を一通り仕込まれました」その後、生まれ育った滋賀県から結婚して上京した小嶌さんは、家事や子育てをするかたわら自宅で仕立ての仕事を続ける。やがて、ドレスデザイナーの教室で約15年間、ドレスの縫製を担当。現在は埼玉県越こし谷がや市にアトリエを構え、オーダーメイドに応じるかたわら、知り合いの要望に応えて洋裁教室を開き、後進の指導も行っている。美しいシルエットの実現に欠かせない「くせ取り」注文服は、さまざまな工程を経てできあがる。まずは顧客の要望を聞き、使用する生地とデザインを決定したうえで、採寸、型紙起こし、裁断、仮縫い、本縫い、仕上げと続く。仕立職人は、こうした多岐にわたる技能のすべてをになう。「洋装店に勤めていたころは、本当にさまざまな種類の洋服をつくりました。数だけならだれにも負けないと思います。このころの経験が私の財産になっています」洋服を仕立てるうえで小嶌さんが心がけているのは「着やすく、着た人がきれいに見えること」。技能には手加減や勘など、説明できない部分が多いものです。経験を積み重ねながら、自分なりのコツをつかむしかありません

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