エルダー2020年6月号
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2020.636紀文の哲学[第91回]江戸時代の豪商・紀伊国屋文左衛門は、独立心の強い人物だった。だから、自分の息子に対しても、「わしの財産などはあてにするな。自分の知恵と腕で稼げ。場合によっては、財産はわし一人で使ってしまうかもしれない」などといっていた。かれの豪遊ぶりは有名だが、公権力とは応分のつき合いだった。世間では、「紀文(紀伊国屋文左衛門の略称)は、自分の楽しみばかり追っている」と噂した。あるとき、紀州藩(和歌山県・徳川家)の重役が訪ねてきた。「藩の財政が思わしくない。赤字続きだ。少し助けてもらえないか」という申出だ。文左衛門も紀伊国屋を名乗っているくらいだから、紀州藩には恩がある。「かしこまりました、何か考えましょう」と応じた。このとき、文左衛門は紀州藩の重役に、「紀州名物のみかんを扱います。いま、江戸ではみかんが払ふっ底てい※していますから」といった。重役は喜んだ。ぜひ頼むといって帰って行った。文左衛門は行動を起こした。まず吉原に行って、大盤振舞いをし、「この時期が来たら、こういう歌を流行らせてくれ」と頼んだ。大船を設しつらえて和歌山に行った。和歌山ではみかんが溢あふれていた。業者たちは、こんな豊作では値が下がって利益が得られないとぼやいていた。したがって、みかんの売り方※ 払底……すっかりなくなること。乏しくなること

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