エルダー2020年6月号
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エルダー37文左衛門は和歌山で大量のみかんを安く仕入れることができた。そして帆を揚げて江戸に戻ってきた。このとき、江戸では歌が流行り出した。それは、「沖に見えるのは白帆じゃないか あれは紀の国ミカン船」という内容だった。事前に文左衛門が吉原の業者たちに吹き込んでいった歌である。これで、紀伊国屋文左衛門が和歌山からみかんを大量に買って来る、というPRが行われた。歌の文句通り、文左衛門の船が江戸湾に入ってきた。築地に接岸した。ところが、その後文左衛門は一向に荷下ろしをしない。みかんは船に積んだままだ。岸で、みかんを仕入れようと待ち構えていた業者たちはみんな顔を見合わせた。「紀文さんは、いったいどういうつもりなのだろう」そのうちに、みかんの値が上がり出した。どんどん上がる。業者たちは気が気でない。「こんなよい機会なのに、紀文さんはなぜみかんを荷下ろししないのだろうか」と、語り合った。やがてみかん景気も通り過ぎ、ほかの地域からも入るようになったので値がどんどん下がり出した。このとき紀文は船の乗組員に命じた。「みかんを陸揚げしろ」「陸揚げしても、この間のような高値じゃありませんよ。どんどん安く叩かれています。大金をかけたのが全部無駄になりました」息子が文句をいった。「お父つぁん、あんなことをされたのでは、私に残される財産がどんどん減ってしまいますよ」文左衛門は息子の顔を見た。こういった。「別に、おまえに金を残してやるために、紀州へみかんの買いつけ息子への扱いに行ったわけではない。あれは、紀州藩のご重役たちの考えが間違っていたからだ。赤字になるとすぐ商人に助けを求める。わしが紀州出身だから何とかしてくれるだろうとタカをくくったのだ。そういう甘い考えでは、傾いた藩の財政は再建できない。わしは、懲こらしめのためにみかんを買いつけ、相場が安くなるのを待って陸揚げした。そのために、江戸の庶民は安いみかんを食べることができた。それで十分だ」これは、持ち前の独立心がそうさせるので、藩の権力をかさにきて商人に助力をさせようとする、藩役人の甘い計算に一矢を報いたのである。「財政再建は生易しいものではない。もっと腹を据えて、緊張しなければだめだ」というのが文左衛門の考えだった。それは、「わしは一貫してそうしてきた」という気骨がそうさせたのだ。また、息子に対して一見冷たいように見える扱いも、文左衛門にすれば、「財産などというものは、あの世に持っていけるものではない。俺にも考えがある。しかし、いまのわしの息子は少し甘すぎる。棚からぼた餅のように財産が残されるのを待っている。そんな甘い考えはだめだ。もっと厳しく自立できるような気持ちを持って商売をするべきだ。もしも息子がそういうように、自分の力で商売を成功させるようになったら、残っている財産は惜しげもなくみんな息子にくれてやる」という考えだった。伝えによれば、その後紀伊国屋は衰退した。当事者は息子だった。しかし息子は、根本的なところで父親の考えを理解することなく、江戸の片隅の長屋で侘わびしく死んでいったという。

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