エルダー2020年6月号
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高齢者に聞く第 回2020.638憧れの東京へ私は熊本市で生まれ、高校卒業後に市内の歯科技工士専門学校へ入学しました。長兄が自衛隊のパイロットをしていたことから、私も同じ道をすすめられましたが、手に職をつけたいという思いが強く、当時注目の職業の一つであった歯科技工士の道を選びました。すぐに就職先も決まり、幸先のよいスタートを切ることができました。若くして結婚したので、家族を養うことに必死でしたが、仕事は順調で、充実した日々が過ぎていきました。歯科技工士の研修のため、何度か上京する機会があり、さまざまなことを学ぶうちに、いつしか東京で自分の腕を試してみたいという気持ちが湧いてきました。ちょうどそのころ、長女が東京の大学に進学することになり、娘の監視役という名目で、私も東京で暮らすことを決意しました。ただ、すでに40歳になっていましたから、妻には理解してもらえたものの、両親には猛反対されました。いまでも申し訳なく思っています。周囲の反対を押し切って上京し、娘の大学に近い場所で物件を探しているときに、たまたま知り合った人が、新宿区新小川町の同どう潤じゅん会かいアパート※1を紹介してくれました。歯科医院への就職も決まり、妻を東京に迎えるため、歯科技工士の仕事に没頭しました。1955(昭和30)年の歯科技工士法制定を受け、歯科技工士専門学校が相次いで開設された。その後も歯科技工士の需要は増え続け、吉田さんも多忙な日々が続く。介護の世界との出会い歯科技工士という仕事は1日中座り続けるので、運動不足になりがちです。徹夜が続いたこともあり、案の定、身体を壊してしまいました。上京後10年間がんばりましたが、退職を余儀なくされました。通院しながら次の仕事を探しましたが、なにしろ歯科技工士の世界しか知らないので、新しい職探しは困難を極めました。そのころ妻から訪問介護という仕事をすすめられました。人手不足なこともあり、高齢でも雇ってもらえることを知り、まずは講習を受けてヘルパー2級※2の資格を取りました。訪問介護という新しい世界に挑戦し、自転車での移動に加え、訪問先でしっかり身体を動かしますから、不思議なものでどんどん健康になっていきました。生活のため三つの事業所をかけもちし、自転車で飛び回りました。2年後には要介護高齢者の在宅生活を24時間支える、巡回型ヘルパーの仕事に移りました。二つの介護の分野で経験を重ねたことで、人工呼吸器洗浄や痰たんの吸引など、介護に必要なスキルを習得することができました。※1 同潤会アパート……関東大震災からの復興支援のため、大正末期から昭和初期にかけて東京や横浜に建設された鉄筋コンクリート構造の集合住宅の総称 ※2 ヘルパー2級……日本国内で介護のスキルを証明するために実施されていた、訪問介護員養成研修の別称。現在の介護職員初任者研修に相当株式会社ソラストグループホーム上かみ井い草ぐさあやめケアマネジャー吉田信のぶ ゆき幸さん73 吉田信幸さん(67歳)は、歯科技工士から介護の世界への転身という異色の経歴を持つ。現在はグループホームでケアマネジャーとしてケアプランの作成を行いつつフロア業務もこなす吉田さんが、施設利用者の心に寄り添いながら、生涯現役で働き続ける未来を語る。

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