エルダー2020年7月号
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高齢者に聞く第 回2020.734専業主婦として半世紀私は静岡県伊い豆ず長なが岡おか町(現伊い豆ずの国くに市)の生まれです。三島市内の高校を卒業後、すでに東京へ出ていた姉を頼って、大学進学のため上京しました。実家は米穀商を中心にガソリンスタンドなど多角経営していたとはいえ、6人の子どもを全員大学に進ませてくれた両親は苦労しただろうと思います。大学では中学校と高校の教員免許を取得しました。漠然と教師という仕事に憧れ、人の前で話す教師は滑かつ舌ぜつがよいことが大切だと考え、アナウンス研究会というサークルに入って話し方を鍛えたのも懐かしい思い出です。鍛錬のかいあって人一倍声が大きいのですが、この大きな声が接客といういまの仕事に役立っているのですから、人生は面白いと思います。しかし、当時女性が外で働くことのハードルは高く、大学を出たものの、親の意向もあって私は仕方なく花嫁修業に励んでいました。あるとき、大学の人事課から埼玉県秩ちち父ぶ市の高校で教師を募集していると連絡があり、親の反対を押し切って家を飛び出し、憧れの教壇に立ちました。ところが、しばらくすると父が迎えにきて結局実家に連れ戻されました。その後25歳で見合結婚。計理士※1の夫を支えつつ2人の子どもを育て上げ、気がついたら専業主婦として半世紀が過ぎていました。教師の夢は絶たれながらも「当時の女性の多くが辿たどった道ですから」と山田さん。「専業主婦」の日々は充実していたと屈託がない。夫の病気が人生の転機に当初は品川区に所帯を持ちましたが、結婚の翌年に町田市に転居しました。夫は女性が外で働くことには反対でしたが、家事をこなしてさえいれば、私自身の時間の使い方についてはとても寛大でした。体を動かすことが大好きな私は、近所のジムに通って体を鍛え、そのうちテニスやゴルフも楽しむようになりました。手芸など趣味も広がり、やりたいことを思い切りやらせてもらえたことには感謝するばかりです。2人の子どもに恵まれ、子育ても順調でしたが、人生は何があるかわかりません。私が64歳のとき、夫が病気をきっかけに認知症を発症したのです。とてもショックを受けましたが、私は与えられた環境のなかでいかに生活を楽しむかということを常に考えてきました。それまで自分の好きなことに没頭してきた私は頭を切り替え、今後は夫に寄り添って生きていこうと決めました。夫は市内の認知症通所施設に通い、手厚く介護していただいたことで、私も何か恩返しをしたいと思うようになり、ショートステイの施設でボランティアを志願しました。利用者の方と歌を歌った※1 計理士…… 1927年から1948年まで、計理士法に基づいて与えられた国家資格。公認会計士制度の発足により廃止されたが、資格としては1967年3月まで存続したスターバックス コーヒー南町田グランベリーパーク店スタッフ山やま田だ勝かつ子こさん74 山田勝子さん(76歳)は20代から専業主婦として日々を過ごしてきたが、縁あって75歳で新しい世界へ踏み出した。幅広い世代に人気のカフェでいきいきと接客する山田さんは、若いスタッフのよい手本となっている。いつも笑顔を絶やさない山田さんが生涯現役で働く喜びを語る。

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