エルダー2020年8月号
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一癖ある黄門さまの汁鍋〝汁鍋懇談会〟は水戸黄門のオリジナルではない。歴史を齧■った人ならばその人物と常識化している、有名な人物の催しとして名高い。その人物というのは、主人の〝織田信長殺し〟としていまだに名を高めている明智光秀だ。「光秀はなぜ信長を殺したのか?」というのは、いまだに解明されない歴史ミステリーの一つだ。光秀の汁鍋には美談が付着している。妻との愛情物語だ。美濃国(岐阜県)で、浪(牢)人生活を続ける光秀は、6人の仲間と〝汁鍋講〟をつくった。月に一度〝当番〟の家に集■る。このときの当番は汁だけでなく具(食材)も用意する義務を負う。光秀が当番になったとき、具を用意する金がなかった。その日が近づくにつれ光秀は悩んだ。ところが妻が、「心配しないでください。私が用意しましょう」と胸を叩いた。妻は美しい髪の持ち主だった。それをバッサリ切って売り、汁に入れる食材を買いととのえたのである。〝戦国の美談〟として伝えられている。〝逆臣〟とか、〝主殺し〟とか悪名を高めた光秀はこのエピソードによってかなりマイナス点を減らしている。が、ここで書くのはそんなことではない。「汁鍋で名を高めたのは明智光秀だ」ということを光圀が知っていたのかどうか、ということだ。もちろんそんなことは現■在■ならどうでもいいことだが、光圀の時代は「徳川家康」がすべての価値基準になる。それも、「家康を高く評価するか(家康のタヌキ性を是認し、プラス点にするか)どうか」という〝ふみ絵(徳川政治への正直な感想)〟的テストだ。訊く側は家康讃美者かシンパだろうから、否定的反応を示せば後の扱いはいわれなくてもわかる。「大日本史」を編んだ光圀は、「石田三成は忠臣だ」と、家康の最大の敵をほめる〝公正な歴史観の持ち主〟だといわれるから、どう応ずるかわからない。ただ、「明智光秀は徳川家康にとって、どういう立ち位置にいるのか(プラスかマイナスか)」ということがあまり論じられていないので、光圀がどう考えていたのか不明だが、〝汁鍋〟の件が黄門さまのエピソードとしては、プラスの話として伝えられていないなかには、「密集社会で開かれる前に黄門さまが亡くなってしまった」などという声が残っているそうだ。そうなると私の〝下■衆■の勘繰り感覚〟がピンと立ち上がる。(黄門さまの汁鍋のすすめには、やはり民の声への探り、ひいては世論誘導の下心があったのだろうか)と。〝閉ざされた密集社会〟は、やはり長く続くと〝閉ざされた発想〟を生む。未知数を残しながらも「全面解除」にふみ切った政府の英断は大歓迎だ。■■39エルダー

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