エルダー41談の話を受けつけなかった。自分の身を蝶に例え、次の歌を詠んだ。「たちよらん かげもなつ野の草むらに 露をもとめて飛ぶこてふ哉」自分の身を胡蝶に例えたのである。そして、孤独でも胡蝶のように生きていこう、生き抜こうと心を定め、未だにそれを守っている。「今日を生きますか?」と鉄斎が訊いた。市場へ焼いたばかりの陶器を売りに行くか、という意味だ。蓮月尼は頷いた。「そうしないと、明日から困りますから」「またまた、お師匠さまは冗談がきついです」鉄斎は笑う。市場への道を辿たどりながら、鉄斎がいった。「お師匠さま、あのときはきちんとお話できませんでしたが、実はいます」「何が?」「わたしが居てほしいと思う人です。また向こうも私に居てほしいと思っております」「そうだったの、それはよかった。安心しました」蓮月尼はニコニコしながら、老顔に美しい笑みを浮かべて大きく頷いた。心が軽くなった。飛び出して行った鉄斎の身を案じて、ずっと思い悩んでいたからである。眠れない夜もあった。「合戦は、居てほしいと思う同志を必ず引き離します。わたしには耐えられない。ですから、わたしは戦が嫌いです」そう告げた言葉は、決して間違っていなかったと思っている。だからこそ、鉄斎も戦争に参加することなく、こうして舞い戻って来たのだ。を、何度止めたかわからない。そのとき蓮月尼は訊いた。「鉄斎さん、あなたにはいないんですか」「何がですか」「あなたに、どこにも行かずにここに居てくださいというお方です。そして、あなたもその人の傍から離れたくないというお人です」「いませんねえ、そんな人は。いれば、こんな暮らしはしていないでしょう」むくれた口調で鉄斎はそういった。しかし、蓮月尼はすでに知っていた。鉄斎には〝居てほしい人〞が存在するのだ。照れくさいので、そういう答え方をする。それが気まずかったらしく、鉄斎はフイとどこかへ行ってしまった。しかし、また舞い戻って来た。蓮月尼はこの年(明治元年)に、帰ってきた弟子77歳になる。そして鉄斎も31歳になった。蓮月尼とは親子ほど年が違う。だから蓮月尼は鉄斎を、わが子のように可愛がってきた。が、暴れん坊で手におえない。(何か、きちんとした生なり業わいに就いてくれればいいのに)といつも思う。蓮月尼は、伊勢伊賀の藤堂家の名のある人の娘として生まれた。ただ母が京都三本木の花街の女性だったので、藩では認められず養女に出された。成人して、二度夫に死なれた。生んだ子も何人か失っている。しかし、彼女を養女にした知ち恩おん院の寺侍だった養父ができた人物で、いろいろな芸を仕込んでくれた。書・歌・陶芸・武術・舞・碁などおよそ芸と呼ばれるものはほとんど仕込まれた。そのなかで、独立した蓮月尼は、「土を焼いて、生涯を送ろう」と心を定め、三十三歳(二度目の夫と死別の日)以後は、一切縁
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