エルダー2020年12月号
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2020.1230[第97回]王朝時代の女流作家で「枕草子」を書いた清少納言と、「源氏物語」を書いた紫式部とは、実際には会ったこともない。生きた時代が違うからだ。同時代だったかもしれないが、清少納言は主人である中ちゅう宮ぐうの定てい子し(藤ふじわらの 原定てい子し)に死なれてから勢いを失い、そのまま宮中から去ったからである。そして、孤独な生活を続けた。しかし、清少納言の名はいつまでも宮中内を漂い、人々の口の端にのぼった。紫式部は、それが癪しゃくに触って仕方がない。彼女自身は人々が、「紫式部は慎み深く沈着で、才能や聡明さを決して面に出さない。陽気で、パフォーマンス欲が強かった清少納言とは、対照的だ」といわれたほど、つつましやかな生活を送っていた。ところが、実際は紫式部の清少納言に対する競争心はもの凄く、『紫式部日記』でこう書いている。「清少納言こそ、したり顔にいみじう侍はべりける人。さばかりさかしだち真ま字な書きちらして侍るほども、よく見れば、まだいとたへぬこと多かり・・・」(清少納言は高慢な顔をして、利口ぶっており、漢学の才能を自慢しているけれど、よく読んでみればまだまだ不十分なことが多い)おそらく、宮中から去った清少納言も、京都のどこか一隅に居て、宮中内で起こる出来事やいろいろケナし合った二人

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