エルダー2020年12月号
33/68

エルダー31清少納言はすっと立ち上がり、御み簾すを引き上げて、外の雪景色を指さし、「ここにございます。どうぞご覧ください」と告げた。これは、「白はく氏し文もん集じゅう」※2のなかにある詩に、「遺い愛あい寺じの鐘は枕をそばだててきき、香炉峰の雪は簾すだれをかかげて看みる」とあることから、素養のあった清少納言はそのことを告げたのである。知識を持っていた定子は満足げに微笑まれた。脇にいた者も、「なるほど、一番だけのことはある」と感心した。宮中を去った後、孤独に一人老いる清少納言は次第に美貌を失い、ついに鬼のような容貌に変わってしまった。それを聞いた物好きな公家が、彼女の住む粗末な家の前に来て、「やれやれ、あの清少納言も落ちぶれたものだな」と笑った。中にいた清少納言はこれを聞くとすっと戸を上げて鬼の面に似て来た容貌を堂々と突き出した。そして、「駿しゅん馬めの骨を買わないの?」といった。中国の故事で、名馬の駿馬なら骨でも買い手があるという例えをいったものだ。当時の公家たちはみんなそのくらいの素養があったから、これを聞くと互いに顔を見合わせ、(鬼面になっても、さすがに誇りだけは相変わらずで大したものだ)と頷うなずき合ったという。清少納言の面目は老いても少しも損なわれることはなかった。気骨である。王朝時代というと、デレデレした人間を想いがちだが、決してそうではない。趣味といわれる分野においてさえ、命がけで生きていた。な情報の仕入れには暇なかっただろうから、後輩の紫式部が自分に対して批判していることも当然耳に入っていたことだろう。紫式部の批判はそれだけでは済まず、さらに、「こういう偽物は、やがてボロを出して惨めな死を遂げるに違いない」などと、見たこともない清少納言の行く末まで予見しているから、余計頭に来た。しかし、かつて宮中で公家たちがまつわりついた清少納言の美貌も、いまは老齢ゆえに次第に衰え、自分から表に出ることはほとんどなかった。家の中に閉じこもって、いまでいう〝ステイホーム〞を送っていた。だからといって、紫式部に火をつけられたかつての盛名は忘れることがなく、いつもそれを誇りに胸に抱いていた。というよりも、いまの清少納言を誇り高く、背筋をピンと立てさせているのはすべて、「過去の盛名」だけだった、といっていいだろう。彼女の盛名は、紫式部はパフォーマンスだと書いたが、決してそうではない。実績があった。中宮の定子に仕えているころ、定子の御前で、ほかの女性や公家たちを前にして、「私はすべて一番と思われたい。二、三番は死んでもいやだ。どんなことをしてでも一番でいたい」と公言して憚はばからなかった。そして事実、彼女は宮廷内では常に一番だった。才能と機知がすぐれていて、定子もそれを愛していたのである。ある雪の日に定子が、「香こう炉ろ峰ほう※1の雪は(何処に)?」と問うた。そんなものがここの近くにあるわけがない。ところが鬼面になっても誇りは保つ※1 香炉峰……中国江西省北端にある廬ろ山ざんの一峰※2 白氏文集……中国唐の文学者、白はく居きょ易いの詩文集

元のページ  ../index.html#33

このブックを見る