エルダー2021年1月号
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エルダー33てこのときは合格する。前回落第したのは、こんなことがあったからだ。それは、松平定信の展開する改革が、江戸城の武士には特に厳しく、「いまのような堕落した生活態度を改めよ」といって、「武士本来の原点である、文(法律)を改めて学び、武術にも精を出して励め」と命じ、いわば、朝から晩まで、「文武」を奨励した。これを蚊の鳴き声に例えて、からかった者がいた。世の中に蚊ほどうるさきものはなしぶんぶぶんぶと夜も寝られずうまい牛ぎゅう耳じり方だが、幕府首脳部は怒った。犯人を挙げて懲らしめろという声が起こり、追及が激しくなった。やがて、「そんなうまい狂歌がつくれるのは、蜀山人に違いない」という噂が立ちはじめ、直次郎は歌のつくり手にされてしまった。しかし、史実的にはこの噂はやはり〝火のない所に立った煙〞だったようで、直次郎自身が必死になって否定している。だから、最初のときは噂を信じた幕府上層部が懲らしめのために落第させたので、二回目のときは上層部も調べた結果、「これは単なる噂のようだ」と、真実を突き止め合格させたのだと思う。合格した直次郎は、すぐ才能を認められ大坂銅座の監督役人に赴任する。さらに、長崎奉行所勤務を命ぜられる。もっとかれの才能を活かそうということで、江戸城内にある「紅葉山文庫」の整理を命ぜられた。この文庫には、徳川家康以来徳川家が収集した古文書が幅広く収納されていた。現在は、政府の「公文書館」に引き継がれている。私は公文書館に友人がいるので、文書の整理状況を訊いたこと蜀山人の反撃がある。友人は、「われわれが模範としなければいけない見事な整理が、江戸時代に行われていますよ」といった。「だれですか?」と訊くと、友人は、「大田直次郎さん、つまり蜀山人の整理ぶりが実に見事で、いまのわれわれでもできないようなことをきちんと行っています」と教えてくれた。大田直次郎は、自分に被せられた誤解(「世の中に……」という狂歌の制作者)に対し、いくら自分が、「ちがう、俺ではない」と強調しても、多くの人は信用してくれなかった。そのためにかれは、「よし、それなら学問吟味に合格して噂が嘘だということを立証しよう」と考えて、積極的に試験に応募したのだ。事情をよく知らない連中には、「大田直次郎が、ヒラメのように生き方を変えて試験を受けている」と批判する者もいた。しかし直次郎にすれば、そんな批判は百も承知のうえで、「そういう批判も噂があるからだ。その根源をなくしてみせる」と考え、合格のために夜を徹して勉強したのである。二回目の試験を受けたときは、現在なら定年間近であったが当時の役人の定年は、「自分から申し出るか、あるいは死ぬか」のどちらかでしかなかったので、直次郎のような生き方も可能だったのだ。汚名を雪そそぐ※ために、定年の年齢を過ぎても奮闘し努力した直次郎は、大いに評価されてよいだろう。特に、「紅葉山文庫の整理」は、あっぱれという他はない。※ 汚名を雪ぐ……恥や汚名を新たな名誉を得ることによって消すこと

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