エルダー2021年1月号
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特別企画成立! 働き方改革関連法案エルダー47高齢者でも維持される記憶知識、スキル、習慣に関する記憶は加齢の影響を受けにくいことがわかっています。例えば知識のピークは70代です。知識は脳全体のネットワークによって形成されているため、特定の脳機能の低下の影響を受けにくいのです。70代半ばから知識も徐々に失われますが、低下はなだらかです。これまでに獲得したスキルも失われるわけではありません。スキルは長年の訓練によって形成されるもので、専門家や職人、スポーツ選手の優れたパフォーマンスもスキルの記憶を基盤としています。例えば、将棋の熟達者は盤面を少し見ただけで、状況や次の手を瞬時にある程度把握することができます。仕事においても何か問題が起きたときに、その問題の原因がどのプロセスで生じているのか、おおよその予測がすぐにできるのは、長年の訓練や経験によって形成されたスキルがあるからです。また、規則正しい生活、お酒、たばこ、挨拶をする、運動をする、メモをとる、といった日々の生活のなかで身につけた習慣も高齢になっても維持されます。修道女を対象とした研究では、死亡後の解剖によって認知症を発症したことが判明した人でも、規則正しい生活習慣が失われていなかったため、生前は周囲が認知症であったことに気がつかなかったことを報告しています。このようなスキルや習慣と関連する大脳基底核、小脳といった脳部位は加齢の影響を受けにくく、そのため高齢になっても維持されるのです。加齢とともに低下する記憶エピソード記憶、ワーキングメモリと呼ばれる記憶は、加齢にともなう脳の変化が顕著にみられる前頭前野や海馬と関連しているため、高齢期になると低下します。エピソード記憶は過去の経験(思い出)の記憶を意味します。「今日会ったあの人の名前は…?」、「昨日の晩御飯何食べたかな?」、「鍵がない! どこに置いたっけ?」。このような物忘れは、エピソード記憶のエラーの結果生じます。ただ、物忘れがあるからといってすぐに認知症を心配する必要はありません。アルツハイマー病などの認知症では初期の段階でエピソード記憶に重篤な障害がみられますが、それは健康な人が経験する物忘れとはまったく異なります。人と会ったことを思い出せない、ご飯を食べたことを思い出せない、と行動そのものを忘れてしまうのです。結果として、忘れたことを忘れるので自身の記憶障害に気づかないこともあります。ワーキングメモリは、頭の中に複数の情報を展開し、操作するための作業スペースで、複雑な課題や思考を行う際に特に重要となる記憶です。若いときは、頭の中の作業スペースが広いので、さまざまな情報を展開し、順番を入れ替えたり、修正したりして複雑な課題をこなすことができます。しかし、作業スペースが狭くなってくると展開できる情報の量がかぎられ、必要な情報を取り出すのにも時間がかかるようになります。この結果、判断が若い人よりも遅れたり、複数のことを同時にこなすことがむずかしくなるのです。このように加齢にともない一部の記憶機能が低下するのは事実です。しかしながら、記憶成績の低下が仕事のパフォーマンスの低下を意味するわけではありません。衰えに適応し、維持されたスキルや知識を活かすことで社会でも活躍する高齢者はたくさんいます。次回は、このような記憶を含む認知機能の低下に、どのように対応すればよいのかについてお話しします。【参考文献】増本康平(2018)『老いと記憶〜加齢で得るもの失うもの』 中央公論新社

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