エルダー2021年2月号
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2021.230[第99回]江戸時代に「蟄居」という刑罰があった。一室に閉じ込められ外部との交流を一切絶つ。なかには「米塩(食事)も絶つ」というのがあって、早くいえば餓死させてしまえ、という厳しいものだ。幕末にこの蟄居を命じられた学者武士がいる。信州松まつ代しろ藩(長野市松代)の佐久間象山だ。名は「啓ひらき」で、「象山」は号である。何と読むのか、つまり〝しょうざん〞か〝ぞうざん〞かで長く揉めた。ただ象山の生家の近くに「象ぞう山ざん」と呼ばれる低い山があるので、現在は一般的には〝しょうざん〞、地元や歴史オタクは〝ぞうざん〞ということで落ち着いている。子どものときから天才で、漢学・科学に異常な才能を示し、電気製品、ガラス製品をつくり、馬鈴薯栽培、養豚の指導までしている。そして、人生観が際立っている。• 二十歳のときに「藩」の規模で諸事を考えた• 三十歳のときに「日本」的規模で考えた• 四十歳過ぎには「世界」的規模で考えたと、加齢によって地方・国家・国際と視野を広げていったというのだ。いまでいう〝グローカリズム(グローバルとローカルの合成語)だ。蟄居処分になったのは、「弟子の吉田松陰にアメリカへの密航をそそのかした」との罪からだが、象山はあまり凹まなかった。「俗事を離れて、本当にやりたいことができる。食うに困らない隠居のようなものだ」とうそぶいた。負け惜しみでなく、本気でこの刑を前向きにエン〝しょうざん〞か〝ぞうざん〞か

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