エルダー2021年3月号
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2021.320[第100回]千姫といえば豊臣秀頼の妻で、大坂の陣で豊臣氏滅亡後、数奇な生涯を送ったと伝えられる。が、実際には弟の三代将軍徳川家光の威を借りながら、不幸な女性の救済に力を尽くした善行者だ。祖父家康と関白豊臣秀吉との政略で、家康の三男秀忠の長女として生まれた千姫が秀頼と結婚したのは七歳のときだ。男女のことなど何もわからない。〝お嫁さんごっこ〞の遊びだったろう。が、大坂の陣で夫の秀頼が自決したときには18歳。当然失われる生命を助かって父の許もとへ。やがて姫路城主の息子、本多忠ただ刻ときと再婚。一男一女を得た―が夫は急死、一男も夭よう折せつ。江戸城へ戻った。弟の家光は大歓迎、千姫は尼となって天てん樹じゅ院いんと称し、大奥だけでなく表の男社会への干渉を次第に強めた。彼女には気になる存在がいた。養女の千代だ。秀頼の娘だが、母は別な女性だ。しかし秀頼の子を産まなかった千姫は千代を実子以上に可愛がった。大坂落城の際は、千代も生命を失う運命にあった。千姫は必死に父秀忠に嘆願し、千代は辛うじて助命された。しかし俗世とは縁を切られ鎌倉の東慶寺に尼として入れられた。天てん秀しゅう法ほう泰たいが法号だ。幸多いとはいえないその後の人生を送りながらも、天樹院は天秀によく会った。政略結婚だったが天樹院は秀頼と仲がよかった。秀頼も天樹院を愛した。(あの愛は本物だった)秀頼亡き後も天樹院はよくそう偲しのんだ。天秀は心がやさしい尼に僧そうだった。暴力をふるう夫から逃げてきた女自分の不幸を娘とともにプラスに

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