エルダー2021年5月号
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特集歴史に学ぶ高齢者雇用エルダー15「定年」とは、その年齢に達した従業員との雇用関係を強制的に打ち切る制度であり、アメリカやヨーロッパではほとんど見られない仕組みです。定年は、企業にとっては、一定年齢で一律に雇用関係を終了できる側面とともに、従業員にとっては、その年齢までは雇用が保障されるというプラスの側面を持っており、従業員に対して定年までの雇用の安心感を与えるメリットがあります。では、こうした年齢を理由にして一律に従業員を退職させる定年制が日本でどのようにして生まれたのか、いまの定年制の概念がどのようにしてつくられたのかを紹介しましょう。日本で初めて、定年制(定年年齢は55歳)を実施したのは海軍火薬製造所で、1887(明治20)年ころであるといわれています。その後、ほかの官営工場や民間企業に波及し、明治後期には、機械工業や金属工業の大企業を中心に普及の輪を広げていきました。大正時代になると、経済活動の発展にともない、事業規模が拡大し従業員数が増加、近代的な人事労務管理制度の整備が進むにともなって、定年制が広く産業全体に普及していきました。また、このころから大企業を中心として、尋常小学校※1ないし高等小学校※2を卒業した12~14歳くらいの若手未経験者を職工として採用し、基幹労働者として養成することが主流になり始めました。その結果、基幹労働者に対して、長期的な雇用の継続をうながす仕組み(勤続年数を反映した昇給制度・昇進制度や退職金制度など)が確立され、定年制はこうした仕組みを維持・発展させるための一つの柱として機能していきました。ちなみに、この当時の平均寿命は45歳前後で、定年年齢は50~55歳が多かったようです。昭和に入り、いわゆる「戦時体制」の時代になると、徴兵による労働力不足が深刻になり、定年制は一時中止されることとなりました。その後、1945(昭和20)年の終戦により、終戦直後の引揚げ者の増加によって労働力が過剰になり、企業は人員整理を余儀なくされ、戦時中に中止されていた定年制を復活したり、新たに導入した企業が多くみられます。このころの定年制は人員整理のためという意味合いが強い仕組みになりました。東京オリンピックが開催された1964年に旧労働省が全国4000社の企業を選んで実施した「民間企業定年制調査」によると、定年制の実施率は従業員規模1000人以上の企業では、ほぼ100%に近く、このころには広く定年制が普及していることがわかります。また、同調査では、定年年齢を55歳と定める企業が約8割を占めており、定年年齢は従前とほとんど変わらない状況でした。1970年には、総人口に占める60歳以上の人口の割合が1割を超え、今後、高齢化がますます進展することが確実に予測されるようになり、高齢者の雇用促進が大きな政策課題として登場することとなりました。それを受け、政府は法による定年年齢の規制に乗り出しました。1971年に「中高年齢者等の雇用の促進に関する特別措置法」を制定し、60歳定年の促進をはかることとしました。その後、1986年に抜本改正され、60歳定年制度の努力義務化が定められました。この当時の定年年齢の主流は55歳であり、企業は法改正により、定年年齢の引上げを迫られるようになりました。その後、同法は改正され、1998(平成10)年から60歳定年制が義務化されました。さらに、2000年には、高年齢者雇用確保措置の導入が努力義務化され、2012年の改正では、希望者全員の継続雇用が義務化されました。これにより、働く側が希望すれば、65歳まで雇用が維持されるようになりました。日本における定年制の始まり・定年制の歴史大木栄一コラム (このコラムは、荻原勝(1984)『定年制の歴史』日本労働協会、および(独)高齢・障害・求職者雇用支援機構(2019)『マンガで考える高齢者雇用改訂版』に基づいて作成したものです)※1 尋常小学校……明治~昭和初期ころまでの初等教育機関(現在の小学校)の名称※2 高等小学校……明治~昭和初期ころまでの教育機関(現在の中学校)の名称

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