エルダー2021年5月号
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エルダー7特集歴史に学ぶ高齢者雇用60歳定年の努力義務(1986年)まで1高年齢者雇用安定法を中心に日本の高齢者雇用政策を語るといっても、なかなか一筋縄ではいきません。というのは、六法全書を見るとこの法律には「昭和46年法律第68号」という番号がついていますが、公布された1971(昭和46)年にはいまの名前ではなく、「中高年齢者等の雇用の促進に関する特別措置法」だったからです。その中身は45歳以上の中高年齢者の職種別雇用率を定めるもので、定年もいわんや継続雇用も出てきませんでした。これが1976年改正で55歳以上の高年齢者雇用率になり、1986年改正で「高年齢者等の雇用の安定等に関する法律」という名前に変わると同時に、ようやく60歳以上定年の努力義務が規定されたのです。もっとも、それ以前に定年にかかわる政策がなかったわけではありません。1973年の改正雇用対策法で、国が定年の引上げのために援助を行うという規定が設けられ、これを受けて高年齢者雇用開発協会((独)高齢・障害・求職者雇用支援機構の前身の一つ)が定年延長アドバイザー業務を行っていました。この予算措置レベルの政策が法律上の権利義務規定に一段上がったのが1986年改正でした。労使の意見をすりあわせ、本体の努力義務に政府の要請、計画作成命令、適正実施勧告、最後は企業名の公表までくっつけて成立に至ったものです。ちなみに筆者はこの改正作業にヒラ職員としてたずさわりました。その後の政策は、一面では努力義務が法的義務に強化されるとともに、その上限年齢が65歳、70歳へと引き上げられていくというプロセスとして描くことができます。ただしもう半面では、年齢差別禁止政策の浮上、確立というプロセスもありますので、話はやや複雑になります。65歳継続雇用政策の始まり2高齢者雇用政策を駆動してきたのは年金の受給開始年齢の引上げ政策であることは間違いありません。そもそも60歳定年自体、1954年の厚生年金保険法改正で受給開始年齢が55歳から60歳に段階的に引き上げられたことが原動力でした。65歳継続雇用も、1990年代から2010年代に至る厚生年金の基礎年金部分と報酬比例部分それぞれの段階的引上げに対応する形で進められてきました。話はまず、1989(平成元)年に厚生省が独立行政法人労働政策研究・研修機構 労働政策研究所 所長 濱口桂一郎総 論日本の高齢者雇用政策―高年齢者雇用安定法を中心に

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