エルダー2021年6月号
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特集コロナ禍や自然災害に立ち向かう働く高齢者の底力エルダー21しました。被災されたお年寄りなどが家から出した土砂もついでに運び、『またたまったら、来て取りますよ』と声をかけ、感謝されました。こうした非常時には、『私たちの仕事はこれだけ』というわけにはいきません。いわれたことだけをするのではなく、気がついたことを率先して行う姿勢が大事です。地元の人とよくコミュニケーションを取ることも欠かせません」と三宅さんはいう。あちこちで一気に復旧作業が行われたことで材料が不足したときも、県内外に豊富な人脈を持つ三宅さんが融通を利かせてくれるところを探すなど、力を発揮した。三宅さんたちと別のチームは、河川の決壊箇所の仮復旧を担当し、交代で昼夜を問わず作業を行った。また、内勤者は、冷蔵庫で冷やした飲み物やタオルを定期的に各現場に配達して回った。当時は夏真っ盛り。現場周辺はすべて水に流されてコンビニエンスストアも自動販売機もなく、各自が持参した飲み物などすぐになくなってしまうので、熱中症対策の物資支援が必要だったのだ。毛布などの支援物資を提供したり、炊き出しなどもしたりして、被災した人たちのためにできるかぎりのことをした。こうした活動が、7月下旬〜9月下旬の約2カ月続いた。たいへんだったはずだが、三宅さんは、「まずは復旧、ということを念頭に置いて取り組みました。通常の仕事でしたら、『ちょっとこの辺で休憩しよう』となるところも、そういう気持ちになりませんでした。いまは晴れていても、いつまた雨が降るかわかりません。カンカン照りのなか、外での作業はきつかったですが、気が張っていましたので、次の日にはシャキッと起きられました」という。そして、「社員全員、よくがんばりました。外勤者も内勤者も、それぞれのチームが連携して手際よくやったと思います」と仲間をねぎらう。同社の活躍に対しては、国土交通省中国地方整備局より感謝状が贈られた。被災者の気持ちを思いやり目配り、気配り、心配りを心がける復旧作業をするなかで、三宅さんは多くの被災者に接した。「『おれの家の家財道具は、水に流されてどこに行ったかわからん』と嘆くお年寄りもいました。何十年もお住まいになられたなかで揃えた道具や思い出の品がなくなってしまったのは、つらかっただろうと思います。7年前に奥さまと犬を連れて千葉から移住してきた方は、東日本大震災のとき、液状化によって家を失ったそうです。災害が少ないという理由で奥さまの出身地である岡山に来たのに、今度は水害で家を失った。『一生のうちに2回も』と泣く姿を見て、もらい泣きしました。かける言葉も見つかりませんでした。一方、パン屋を営む若い夫婦は、『何もかもダメになったけれど、ぼくらはがんばります』と話してくれました。いまでもたまに買いに行きますが、『がんばりますよ』といってくれます。いろいろな人がいますが、『自分がこんな目に遭ったら』と思うと、本当につらかっただろうと感じます。汚れたから水洗いすればよいというものではなく、何もかも使えなくなるのですから」(三宅さん)被災者を気遣い、全力で復旧に取り組んできた三宅さんをはじめとする同社の社員のみなさんに感謝している人は多いだろう。しかし、三宅さん自身はまったく偉ぶることなく、「当然だと思っています。私自身、年を取った者は、で三宅生久顧問

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