エルダー2021年6月号
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2021.624ドオープンした。同ホテルはもともと高田松原にあり、震災時には7階建てのホテルの4階付近まで浸水。陸前高田の迎賓館といわれたリゾートホテルは大きな被害を受けた。その後閉館を余儀なくされたが、幾多の困難を乗り越え、新生キャピタルホテルとして現在の地で開業した。新しく出発できた背景には再開を望む多くの市民の声があった。それほどキャピタルホテル1000は、お祝いごとや結婚式、会合や宴会など、多岐にわたって市民に必要とされるホテルであった。高台の地に再建したキャピタルホテルはコンセプトを一新し、3階建てで全室をツインルーム仕様とした。スタンダードツインルームでも20㎡という十分な広さで、ダークブラウンを基調とした室内は落ち着いた時間が過ごせると好評である。また、広田湾が望める大浴場、新鮮な食材が楽しめるレストランなども人気が高く、観光客はもとより地元の人からも「ハレの日のホテル」のお墨付きを得ている。業務統括部の浅川ゆかりフロアマネージャーは「お客さまからよくいわれるのは、『従業員一人ひとりの言葉遣いがとても耳に心地よい』ということです。フロント業務の担当者だけでなく、すべての従業員がそうだといっていただけるのが何よりうれしく思います。定期的に講師を招いてマナーや話し方の講習会を全員参加で開いており、例えば私たちは『いらっしゃいませ』という言葉をほとんど使いません。『こんにちは』と声をかけた方が言葉のキャッチボールができると考えるからです。ホテルのパンフレットにも書かれている『人が人を想う気持ちを大切にできるホテルになることを誓います』という言葉を常に忘れないでいたいと思っています。当ホテルでは、高齢の従業員の方が各部門におり、自然に接客の心を学ばせてもらっています」と話す。同ホテルについては、本誌2015年3月号の「震災後の復旧・復興に力を尽くす高齢者」という特集で、ホテルの概要とともに最高齢の客室スタッフを取材している。あの震災から10年、今回は調理補助として早朝から勤務する松田千恵子さん(73歳)の奮闘ぶりを紹介する。大震災で学んだことを力に「震災のときは仕立屋さんでアイロンがけの仕事をしていました。家のことが心配になりあわてて帰ってみると、とりあえず家は無事でした。すぐに公民館へ避難し、そこからみんなで山の方に逃げることになりました。私は車で行ったので、どうしようかと迷いながら車をそこに置いていこうとしたとき、どす黒い大きな波がやってきました。あっという間に車は流され、間一髪、無我夢中でともかく上へ上へと逃げましたが、波が猛烈な速さで追いかけてきました。私の後ろにいた人、そのまた後ろにいた人が流されて、もう死んでもいいやと思ったときピタリと波が止まりました。あのときの恐怖は10年経ったいまも忘れられません」と松田さんはひとことひとこと、かみしめるように話してくれた。結局、家は流され、跡形もなくなった。貯金をはたいて1カ月前にリフォームしたばかりで涙が出そうになったが、両隣の家ではお年寄り2013年11月に再建されたキャピタルホテル1000

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