エルダー2021年8月号
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2021.834﹇第105 回﹈奇人父娘お栄えいは葛飾北斎の三女だ。資料には生没年不詳とある。特に父北斎が死んだ1849(嘉永2)年以後の消息はまったくわからないという。画家の南沢等とう明めいに嫁いだが、夫の絵をコキおろし罵倒のかぎりをつくして追い出された。これが1829(文政12)年ごろではないかと推測されている。以後は父が死ぬまで同居した。父に劣らぬ画才の持ち主で、画号を応おう為いといった。父が彼女の名を呼ばず、オーイ、オーイと呼んだからだという。そして「親爺以上の変わり者だ」といわれた。同居しても父の世話なんか碌ろくにしない。特に絵を描ないうちに次の分を買い込んだり、店屋から出前を取ったりする。残された総菜は竹の皮に包まれたまま腐ってしまう。異臭が漂う。耐えかねて北斎がいう。「オーイ、引っ越そう。家を探せ」「わかった」お栄の記録だけでも江戸市内での引越しは九十三回に及んだという。お栄が六十代になったころ、父娘で旅行した。招き手があった。それも常じょう連れんだ。信州(長野県)北方の名望家高井鴻こう山ざんだ。豪農で篤とく志し家かだった。小お布ぶ施せ村を拠点にして農民の救済指導に力を入れていた。「信州は大半を武田信玄に支配されたが、この辺りは上杉謙信のき始めるとそっちに夢中で、父はもちろんのこと、自分の面倒もみない。同じように絵に夢中になっている父北斎が、「オーイ、腹が減ったな」というと、「もうすぐ店てん屋やから出前がくるよ」と、絵筆を休ませずに応ずる。「今日は何だ?」「すしにした」「昨日もすしじゃなかったか?」「昨日はうなぎだ。ボケたね」「そうだったかな」相手の性格を知っているので北斎もこだわらない。出前を取らないときはお栄が気晴らしを兼ねて、惣菜を買ってくる。幾日分ものまとめ買いだ。全部食べ終わら

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