エルダー2021年10月号
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2021.1034[第107回]さらに、幕府の大学・昌しょう平へい坂ざか学問所の講師も頼まれた。 次男の春風も広島藩の藩儒になったが、多趣味なので、京・大坂・江戸などの文人との交流が盛んだった。 三男の杏平もすぐれた漢学者だったが、行政能力もあるので、藩主は藩領の三み次よしの代官に登用した。 「三人の子を立派な学者にしたい」 という、又十郎の宿願の一つは立派に果たされた。又十郎は満足し、もう一つの宿願の富士登山を実行した。宿願は二つとも果たされた。 が、一つ難事が起こった。それは長男の春水の子・久太郎が引っ込 広島県の竹原は〝小京都〞と呼ばれる。規模の整った品格のある都市だ。江戸時代中期に「頼らい」という珍しい姓の商人がいた。名を又十郎という。家業は紺こう屋や※1だ。広島の名産品は木綿なので、染物もかなり需要があり、又十郎の店も流は行やった。 又十郎には宿願があった。一. 三人の息子を立派な学者にすること二. 又十郎自身は富士山の頂上まで登ること 努力の甲斐あって両方とも実現できた。長男の春水(号)は広島藩浅野家の藩儒になり、藩主と世子(次の藩主)の指導者になった。商人家長の願い[第107※1 紺屋…… 染め物屋

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