エルダー2022年1月号
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特集シニアのキャリア・チェンジエルダー19をつくってきました。アナウンサーという職種でしたが、話すだけでなく、社会に問題提起すべきと思ったことを自ら提案し、取材をして、番組制作にたずさわってきました。一方、ここは、支援を必要とする人に必要なサービスをダイレクトに提供できる場所。はたからみるとまったく違う畑ですが、私のなかでは、『何のために仕事をするのか』という根っこの部分でつながっているのです」と内多さんは語る。障害福祉の世界と運命的に出会い信頼する人のすすめで転身を決意内多さんと障害福祉の世界とは、不思議な縁で結ばれている。出会いはNHKの新人時代。香川県の高松放送局に赴任し、ボランティア団体主催のお祭りの司会を担当したことで接点が生まれた。実はディレクター志望だった内多さんは、何かネタがもらえないかと、その後も関係者と交流を続けるなか、障害福祉の世界に潜むさまざまな矛盾や課題を知る。それらを番組の企画として提案し、自分が発案したものが形になる喜びを得るとともに、社会の変化にかかわる手応えを得た。例えば、行政の支援で運営している「福祉タクシー」が財政難で存続が危ういと知り、その意義についてリポートしたところ、後になって、存続が決まったというニュースを耳にした。それがきっかけとなり、断続的にだが、その後も障害福祉の取材を続けるようになった。医療的ケアが必要な子どもたちのことを知ったのは2013年、当時代行キャスターを務めていた「クローズアップ現代」の取材でのこと。新生児の救命率が向上した反面、在宅で医療的ケアを必要とする子どもが増え、地域でどう支えていけばよいかを問う番組を企画・制作し、大きな反響があった。それから1年ほど経ったころ、番組にも協力してもらった国立成育医療研究センターが「もみじの家」を立ち上げ、外部からハウスマネージャーを募集することを知った。教えてくれたのは、福祉に関する番組制作を続けるなかで知り合った障害福祉の世界のカリスマのような人物だ。その時点で15年来のつきあいで、ときどきお酒を飲む仲だという。「その人がおもしろい人で、『内多さん、向いているんじゃない? やってみたら?』とすすめてくれたんです。普通であれば『NHKを辞めろ』とはすすめませんよね。私の考え方や性格を見抜いていたから、すすめてくれたのだと思います」と内多さんはふり返る。当時の内多さんは、ボランティア活動をしたり、社会福祉士の資格を取得したりしていたが、転職するつもりはなく、「オフの時間や定年後に福祉にかかわれればよい」と考えていた。しかし、ハウスマネージャーに転身すれば、仕事とやりがいを一致させることができる。内多さんのなかに「チャレンジしたい」という気持ちが芽生えた。「もみじの家」の設立準備室の担当ドクターが「クローズアップ現代」の取材で窓口になってくれた人だったことにも、運命的なめぐりあわせを感じた。家のローンも終わっており、子どもの学費の見通しも立っていたので、収入面での不安もなかった。家族の反対もなく、奥さまは「いいんじゃない?」と後押ししてくれたそうだ。前向きにチャレンジを続け自分の仕事をさらに広げていく公募に応募して見事合格し、新たなスタートを切った内多さんだが、意外にも、最初は不安はなかったという。なぜかというと、「何をする仕事かすらわからなかったから(笑)」ハウスマネージャーというのは、施設長(国立成育医療研究センターの病院長が兼務)のもと、安心・安全で快適な環境づくりをリーダーシップを発揮して行っていく役割。施設の運営方針を決めて事業計画を立てたり、1日に何人入所を目標とするか、施設をどう使うかといっ

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