エルダー2022年1月号
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2022.136雪が降り、山々は冠雪した。翌朝、高齢の癖で早朝に起きた平洲は散歩に出た。あたり一面、白い雪景色でそれほど深い積雪ではないが、歩行は気をつけないと転倒する。平洲は、 (杖がほしいな) と思った。庭に出て物色した。隅にカシの古木があった。程よい枝が一本幹から伸びている。 (あの枝がよい杖になる) そう思った平洲は、その木に近寄って手をのばし、目標の枝をピシリと折った。途端母屋の方でアッという悲鳴をきいた(ような気がした)。平洲はふりかえった。だれもいない。 (気のせいか) 平洲は折った枝をビュッビュッとふってみた。長さもちょうどよい。 細井平へい洲しゅうは身体が弱く、若いときから病気がちだった。しかし高齢になっても、出羽(山形県)米沢藩主上杉治はる憲のり(号鷹よう山ざん)・尾張(愛知県)藩主徳川宗むね睦ちか・紀州(和歌山県)藩主徳川治はる貞さだらの、学問と藩政改革の指導を続けていた。いまでいう〝生涯現役〞の学者だった。平洲自身も、 「仕事が何よりの薬だ」 と云っていた。江戸に住んでいたので旅も多い。なじみの宿もできた。尾張へ行くときは湯治を兼ねて箱根の温泉宿の世話になった。平洲と懇意だった当主は隠居し、樹木の世話に没頭したので息子があとを継いでいた。平洲が泊まると親父同様にサービスした。 このときは冬の最さ中なかで箱根には古木の枝を折って杖に[第110回]

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