エルダー2022年4月号
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エルダー35秀尼の云った、 「不幸な女性の救済に生涯努力します」 という言葉が力強く、不幸な思いを続けてきた千姫と同じ思いだったからだ。 その後しばらく経って、千姫は東慶寺の興味あるうわさをきいた。 「暴行、虐待など理不尽な夫の扱いに堪えかねて、家を飛び出し駆けこむと、東慶寺では絶対に迫ってきた者に引き渡さない。かくまい続ける」 千姫はニコリと微笑んだ。 (天秀さんがガンバっている)と思えたからだ。 あるときは会津の殿様の軍勢に囲まれたこともある。殿様の非行が激しくいくら諫かん言げんしてもきかないので、その重役は城を脱し、家族を連れて高野山に逃げこんだ。殿様は軍勢を送って重役一族の引き渡しを迫った。 高野山は屈した。重役は家族に東慶寺のことを話し高野山から逃がした。自分はいさぎよく殿様の軍勢に捕えられた。殿様は、 「家族も同罪だ。根絶やしにする」 と執拗だった。軍勢は東慶寺に迫った。 しかしいくら交渉しても寺は家族を渡さない。 「この寺に入った以上、世間とは縁が切れます」 と、住持が出てきてそう告げた。住持は天秀尼だ。 怒った殿様は将軍に訴えた。将軍は秀忠だ。側近に調査を命じた。殿様の非行が次々と明らかになった。秀忠は殿様を呼び出して告げた。 「お前の不行き届きだ。よって家を潰す」 そう云ったあとこう云った。 「あの寺の住持はオレの孫だ。意志は固い」 東慶寺は〝縁切り寺〞としても有名になった。 「千、さらばだ」 と自決のために櫓やぐらに登って行った。 城外に出た千姫は家康のはからいで江戸に戻った。やがて本多忠ただ刻ときという大名の妻になったが、夫はまもなく死んでしまった。つくづく自分の薄幸を悲しんだ。父の非情さに怒りもした。そんなとき、あるうわさを聞いた。 「豊臣秀頼の娘が、生きのびて鎌倉の寺にいる」 というのだ。千姫の胸に火がともった。見当がついた。秀頼が側室に産ませた子だ。千姫は、 「身寄りがないのなら、私の養女にしよう」 と思い立った。とにかく会ってみようと鎌倉に行った。娘のいる寺は東とう慶けい寺じだった。娘はしっかりしていた。どことなく秀頼に似ている。娘は、 「もはや自分の幸さちなど考えず、苦しんでいる女の人の救済に生涯をささげます」 と、けなげな決意を告げた。千姫は心強く思い、 「立派です。その志で生きぬいてください」 と励ました。住じゅう持じに会い、娘を養女にすることを告げた。そして、 「女人救済のために努力させてください」 と頼んだ。住持はよろこんだ。そして自分は老齢なのでいずれ娘にあとを継がせます、と約束した。二人の知恵で、秀頼の娘は「天秀尼」と命名をされた。秀の字は、娘の父秀頼を偲ぶもので、秀忠ではあるまい。 しかし世間には「秀忠の孫だ」と思わせたほうが寺の力を補うのに役に立つ。住持もそのへんは心得ていた。 手続きが終わって千姫はホッとした。秀頼の妻になって以来のモヤモヤが消えたように思えた。天縁切り寺にもなる

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