エルダー2022年4月号
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2022.448京都市南区に本社を構える二九精密機械工業株式会社は、1917(大正6)年の創業以来100年以上の歴史を持つ。長年にわたってつちかってきた機械加工技術で実績があり、最近では特殊合金、チタンなどによる超精密・高精度加工技術で高い評価を得ている。そして、もう一つ同社が注目を集めているのは、「取引先、従業員、協力会社の3者にとっての『安心』をものづくりの根本に据える」という二ふた九く良りょう三ぞう代表取締役社長の信念が全社に浸透し、その思いを形にした制度が整備されていることだ。そこで「病気や事故でも、治りさえすればまた就業できるのだから、辞める必要はない」といい切る二九良三社長と、65歳を超えても会社の第一線で指揮を執る大おお川かわ智さと司し専務執行役員、実際に会社の健康診断がきっかけでがんが見つかったという廣ひろ瀬せ正まさ典のり執行役員の3人に、それぞれの立場からお話をうかがった。仕事をする人の代わりはいるが家族の代わりはいない 二九社長は、2009(平成21)年に就任してからずっと「仕事より家庭が一番」と謳い、従業員とその家族にとって働きやすい環境をつくってきた。そんな同社では、2015年から健康診断の受診率を100%に高め、所見が出た場合は二次健診で診断書が出るまで追いかけるように徹底して指導をし続けている。ともすれば仕事への影響を考えて病気を隠してしまうケースもあるが、そうして手遅れにならないためだ。所見が出ても二次健診に行かない従業員のデータが会社に届き、「いつ検査に行くのですか」と本人に勧奨できる仕組みになっている。実際にこのうながしで二次健診を受け、病気の早期発見につながった好例が廣瀬さんだ。一人で仕事を抱えるのではなく同じスキルを持った人を複数育成する2015年にがんが見つかり、入院治療を経て職場に復帰した廣瀬さんはこう語る。「がんという結果が出たときは、正直『もう終わった』と思いました。両親も兄も仕事が忙しくて健診に行きそびれたまま、がんで亡くなっていますので、なおさら不安でした」。しかし、そんな廣瀬さんを「いまは治療に専念しなさい」と勇気づけたのが二九社長だったという。「必ず職場に戻れる!」という言葉を聞いて廣瀬さんは治療からの復帰に希望を見出した。それでも廣瀬さんは入院してすぐ、大きな誤算に気づく。当時生産管理部門の責任者を務め 加齢により疾病リスクが高まる一方、近年の診断技術や治療方法の進歩により、かつては「不治の病」とされていた疾病が「長くつき合う病気」に変化しつつあり、治療をしながら働ける環境の整備も進んでいます。本連載では、治療と仕事の両立を支える企業の両立支援の取組みと支援を受けた本人の経験談を紹介します。病気とともに働く新連載二ふた九く精密機械工業株式会社会社は「人」次第でよくも悪くもなる。人を大切にする職場であれば会社も社員も長生きできる第一回

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