エルダー2022年6月号
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2022.628 女性が政治に関心を持ち、意見をいったり直接参加するのは、鎌倉時代にもあった。ここで紹介するのは、それが元となって大きな政争事件に発展したことだ。〝牧の方の乱〞だ。 牧の方は平たいらの頼より盛もりに仕える牧まきの宗むね親ちかの娘だった。当時大番役(武士に課された御所の守衛役)を務めていた北条時政(義時や政子の父)の後妻になった。このころは平家全盛の時代だから、時政も〝平家にあらざれば人にあらず〞の風潮にしたがっていたのだろう。 それにぼく(童門)の考えでは、人間もトーフにたとえれば、〝絹ごし〞と〝木綿ごし〞がある。絹ごしはやわらかく風情があり、木綿ごしは固く身が引きしまっている。 好みは人によるが時政は絹ごしのたおやかさに魅せられた。いわゆる〝京女〞の風情にである。この妻にメロメロになった。 牧の方はいつもシトやかに夫にしたがうというタイプの絹ごしではない。男が支配している政治社会にも常に関心を持ち、特に人事に異常な興味があった。 ときの流れは源頼朝一族が平家をほろぼし、〝鎌倉殿(征夷大将軍)〞も、頼朝・頼家の代を経て絹ごしトーフの策謀[第115回]

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