エルダー2022年6月号
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エルダー29※ 蹴鞠……平安時代に、貴族の間で流行した屋外遊戯。シカ皮製の鞠を交互に蹴り上げ、地に落とさないようにして蹴り続け、蹴った回数を競う ということだったが、マゴマゴしているうちに先手をうたれて、政子・義時の軍勢に攻められて敗れてしまった。 時政も牧の方も殺されはしなかったが、時政の領地である伊豆北条の地に軟禁された。北条の地で時政は、 「いい年(六十七歳)をして〝絹ごし〞のいいなりになるからだ」 と笑われた。二度と復権の機会はこなかった。 (時政といっしょに吹き飛ばされたヘチマは、その後女性の入浴用具として社会への復帰に成功した) この事件には牧の方の大きな見落としがある。それも二つある。・ 一つは当時の人々には、まだ〝貴種尊重〞の気風が残っていたことだ。〝尊い人の血流を重んじる〞という習慣だ。頼朝や実朝にはそれがあった(清和天皇以来の血脈)。牧の方や平賀にはそれがなかった。・ もう一つは、政子の絶対的な〝絹ごし〞嫌いである。 東国武士の気風を、 「質実剛健」 ととらえ、それを、 「鎌倉殿に範を示してもらう」 という希こいねがいをも政子には、 「絹ごしは東国の武士を軟弱にする」 と思えた。政子はときに夫の頼朝にさえ、そういう不満を感じた。青年期まで京都育ちの頼朝は、時折嫌いな〝絹ごし〞をチラリチラリと見せたからだ。そのたびに政子は、 (ひっぱたいてやろうかな) と思った。政子の〝木綿ごし〞のニガリは本当に固かった。三代目の実さね朝ともになっていた。絹ごしの大好きな青年で、くらしも公家風を好み、和歌・蹴け鞠まり※などで送っていた。 牧の方も夫の時政が頼朝を初代の鎌倉殿に仕立てるうえでたいへんな功績を立てたので、元老的存在となり、重鎮的立場で相応の権威を持っていた。 権威大好きの牧の方は大きな不満を持っていた。それは実朝のあり様だ。 (これでいいのかしら?) 最初の疑問だ。それが、 (これでいいのならほかの人間でもつとまる) に変わった。さらに、 (ウチの娘婿・平ひら賀が朝とも雅まさ〈当時京都守護職〉の方がマシだ) に変わった。そしてついに、 「朝雅でなければダメだ」 に発展した。 この策謀への仲間づくりをはじめた。まず夫の時政。コロリとしたがった。実朝に不満を持った有力御家人も意外にも多い。グループは、 「実朝を殺して朝雅に替えよう」 と決議した。 ところが政子の妹が実朝の乳母だったので、このことが耳に入りすぐ報告した。政子は激怒した。弟の義時に、 「牧の方一族を排除しましょう」 「父上は?」 「父上もヘチマもない。これは鎌倉殿へのムホン(謀反)です」 「わかった」 義時も近ごろの牧の方一族のふるまいにはマユをひそめている。本当は牧の方の狙いは、 「幕府から北条一族を除去し、自分の一族で支配する」質実剛健な木綿ごしトーフ

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