エルダー2022年6月号
4/68

2022.62くり返すという状態で、何度も袋小路に追い込まれる日々でした。そして私が40歳のときに、ある介護者支援団体を通して、私と同じように家族の介護をしている人たちに出会い、悩みを共有したり、情報交換を行うなかで、自分がしてきたことが「介護」だと気づいたのです。 社会保険など社会保障の制度や仕組みがどれだけ整備されていても、それを必要とする当事者に、たしかな知識や活用の意思がなければ意味がないことを痛感しました。 知識を得ることは選択肢を増やすことにつながります。一概に「介護離職が悪い」とは思いませんが、介護保険などの社会資源を利用し、辞めずに働き続ける選択肢もあるのです。不幸なのは、その選択肢に介護者が気づけないこと。離職せずに介護と両立できる選択肢があることを知らない、または、知ろうとしても専門用語などの壁にはばまれ、自分の問題解決の選択肢から遠ざけてしまう。介―日本では、年に約7万人が介護・看護を理由に離職しています※1。働き手の減少を食い止めるため、国も企業も、介護離職の防止対策が重要な課題となっています。和氣さんは、どのような思いから、介護離職防止の活動をスタートされたのですか。和氣 私自身が働きながら家族の介護を行い、介護者支援団体に助けられた経験があります。そんな当事者だからこそ、介護をしながら働く人を支援できることがあると考え、いまの活動を始めました。 私が32歳のとき、同居する母が病気になり、働きながら母の介護をすることになったのですが、当時の私はこれが「介護」だということに気づいていませんでした。もちろん「介護」という言葉は知っていましたが、それをわが身に結びつけて考えることができていなかったのです。母の介護が始まり、私は生活の変化についていけず、38歳のときに転職しました。その後、母は入退院を、私は転職を護についてのリテラシーを上げることが、そのような状態から脱する突破口となります。 介護者を支援する団体は全国に数多くありますが、どの団体も、ふたこと目には「資金が足りない」と嘆き、運営者が身銭を切って補っていることは少なくありません。私は2013(平成25)年に「働く介護者おひとり様介護ミーティング」という介護者の会をつくり、「あなたの経験がだれかのためになる」をモットーに、介護者による発信・共有を目的とした、介護者を支援する活動をしてきました。しかし、運営者の身銭をあてにする団体では長続きしないと思い、ビジネスとして資金を循環させることを目ざし、「ワーク&ケアバランス研究所」を立ち上げました。―研究所の発足が2014年ですね。和氣 はい。翌2015年9月、当時の安倍首相が自民党総裁選で一億総活躍社会の実現に向けた「新・3本の矢」(2016年6月に閣議決定)の政策の一つに「介護離職ゼロ」を掲げたことで、私の団体が思いがけず脚光を浴びることになりました。メディアの取材が相次ぎ、(一社)日本経済団体連合会(経団連)や日本労働組合総連合会(連合)からも声がかかりました。初めはよいPRの機会介護にかかわるリテラシーを高めれば離職以外の選択肢に気づける一般社団法人介護離職防止対策促進機構 代表理事株式会社ワーク&ケアバランス研究所 代表取締役和氣美枝さん※1 参考資料:厚生労働省「令和2年雇用動向調査」より

元のページ  ../index.html#4

このブックを見る