エルダー2022年9月号
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私は茨城県坂■東■市の出身です。絵を描くことが好きでしたから、地元の高校を卒業すると、東京のデザイン専門学校でグラフィックデザインを学びました。卒業後は数社の制作プロダクションで働きながら先輩に鍛えてもらいました。徒弟制度の名残りもあって辛いことも多かったのですが、いまとなっては厳しく教えてもらえたことに感謝しています。1988(昭和63)年に一念発起して自分の会社を設立しました。経営者の才覚はなかったものの、好況に支えられ、アパレルやファッション、音楽業界の広告をはじめ、レコードジャケットやパッケージデザイン、ブックデザイン、CDのカバーデザインなど仕事の幅はどんどん広がっていきました。著名なアーティストとの出会いも数多く、よい時代を過ごさせてもらいました。株式会社人形町今■半■の「ご予約センター」の仕事が決まってから、ひとまず自分の会社は休眠状態ですが、アートディレクター、グラフィックデザイナーの仕事は続けています。デザイナーの仕事をまっとうしたい気持ちに迷いはなかったのですが、65歳になったとき、これまでとは違った世界にも触れてみたくなりました。たまたま登録した派遣会社が、「東京キャ回■■■■■■リアトライアル65」の事業を受託しており、そのプログラムの一環で人材を募集していた人形町今半の「ご予約センター」を紹介されました。「東京キャリアトライアル65」とは、長く働きたいシニアを東京都がサポートするもので、65歳以上の人の就業機会拡大を目的としたものです。私が何か新しいことを始めたいと考えた時期と、「ご予約センター」の立ち上げが重なり、私は設立からかかわらせていただき、未知なる世界に一歩踏み出したのです。それまで店舗で予約を受けていた従業員の負担が大きくなってきたことがありました。また、電話がつながりにくいという苦情への対応や、何よりも、シニア世代の豊かな人生経験を活かせる職場の創出が視野にあったそうです。立ち上げのときには20人ほどが採用されたと記憶しています。私も人生経験は人並人生における出会いとは不思議なもので、「ご予約センター」立ち上げの背景には、1895(明治28)年、今半は東京・本■所■を上げた。1956年には「人形町今半」が開業、「世界一のすき焼き」を目ざして上質な料理とサービスを連綿と届け続けている。相■■澤■■竹■■夫■区■(現在の墨田区南部)で牛鍋屋として産声未知なる世界との出会い脳を活性化させる新たな挑戦第 762022.936さん 相澤竹夫さん(69歳)の本職はグラフィックデザイナーで、いまもアートの世界の第一線で活躍中である。3年前に副業として、すき焼きで有名な老舗・人形町今半でオペレーターの仕事を始めた。以来、豊かな人生経験を活かし、お客さまの要望にていねいに向き合っている。常に挑戦し続ける相澤さんが生涯現役の醍醐味を語る。株式会社人形町今半飲食部ご予約センター高齢者に聞く

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