エルダー2022年10月号
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愛国者か大罪人かた。艦はアメリカ大統領の特使ペリー中将(日本では〝ペロリ〟と呼んでいた)を乗せていた。日本に開国を迫っていた。ペリーは聞いた。しかし笑わなかった。逆に感動した。 「日本にそんな愛国青年がいたのか?」とビックリし、こう告げた。 「その青年にこう話してくれ。いま私は日本と仲よくするために、日本に鎖国をやめるよう交渉にきている。成功して、もしも日本が開国したなら、私がポケットマネー(おこづかい)で、キミ(松陰)をアメリカに招待してあげるから、それまで待ってほしいと」通訳はそのまま松陰(本当はこのとき松陰の号ではなく、ヨシダ・トラジロウと名乗っていますが、松陰で通します)に伝えた。松陰はガッカリした。 「ウソツキめ。私をダマしてペロリと舌を出しているのだろう。メリケン(アメリカ人)め」と、ののしった。 「日本政府にこのことを話し、   ■             『国禁をおかした犯罪者』 『日本国を憂うる熱心な愛国者』そのまま陸地に戻り、下田奉行所に自首した。いさぎよかった。ところがペリーはそのままには済まさなかった。上級士官と通訳を呼んでこう命じた。吉田青年を絶対に重く罰してはならない、と告げてくれ。かれは立派な愛国者であるといってくれ」上級士官たちはたちまち動いた。まず下田奉行に、奉行は幕府の上司に、上司は馬をとばして江戸城のトップへと、このことはスピードをともなって、幕府上層部に伝えられた。そしてその間に、吉田松陰は、ではなく、として扱われるようになった。つまり日本側では〝ホメられる存在〟に変わっていった。先■をを向向けけててオオドドししてていいるる。。そそんんななしかし下田奉行から幕府の老中(閣僚)までは、ペリーの意志は正確に伝えられたが、長州藩に伝えられるころには、伝達内容がかなりゆがんでいた。まず長州藩の江戸藩邸では、在勤中の重役たちが疑った。ペロリと舌を出して嘲■嘲■笑■笑■っってていいるるに決まっている」ない。藩邸からは、処分してください」という報告書が萩(長州藩の藩都)に届けられた。松陰も急仕立ての駕■籠■で藩へ急送された。松陰が最初(ペリーの胸に植えたのを入れると二株目)のリンゴの苗を植える機会がすぐやってくる。  (次号につづく)41エルダーエルダー■■おおかかししたた大大罪罪でですす。。重重罪罪人人ととししててにによよっっててはは藩藩ががつつぶぶさされれるる危危険険ををううよよううにに達達せせらられれままししたたがが、、場場合合  「「幕幕府府かかららはは吉吉田田をを軽軽いい罪罪でで扱扱ののだだかからら、、そそうう思思わわれれててもも仕仕方方ががよよううなな恫恫喝喝外外交交ををおおここななっってていいたたここれれははペペリリーーががここのの重重役役ががいいっったた    結結局局、、ここれれがが結結論論ととななっってて江江戸戸とと、、松松陰陰とと同同じじ感感想想をを持持っったた。。ヤヤツツののいいううここととがが信信じじらられれるるかか。。ににガガンンババっってて、、江江戸戸城城にに大大砲砲のの筒■筒■ににペペリリーーはは行行かかななかかっったた。。江江戸戸湾湾当当だだかからら、、長長崎崎にに行行けけ、、とといいううのの  「「日日本本ととのの交交渉渉はは長長崎崎奉奉行行がが担担

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