エルダー2022年11月号
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■■■■■ペリーの深い関心あまり知られていないことのようなので、吉■田■松■陰■の密航事件の事実を、〝幕末の青春話〟として、結末をつけておきたい。最初に一番関心を持ったのは、松陰にねらいをつけられたアメリカのフィルモア大統領の特使ペリーだ。このときのペリーはアメリカの海軍中将で、アメリカの東インド艦隊の司令長官だった。ペリーを日本に派遣した大統領の意図は、はじめから日本と交易をするためではない。ほかの列強諸国と同じように、「清■(当時の中国)」と交易をするためだ。茶や生糸をねらっていた。しかし太平洋航路は長い。途中で燃料、食料、水などが不足する。また乗組員に病人やケガ人が出る。加療のための施設が要る。大統領が考えたのは、「そのための中継基地が必要だ」ということである。はじめから独立した国として考えられたワケではない。〝中継基地〟として考えられたのだ。これが日本軽視なのかどうか、当時の人々はただ、「開国だ、開国だ!」と騒いだから、アメリカの「仲よくしましょう」というだけの開国要求の真意を、日本側(幕府)がどれだけ理解していたかわからない。日本との交易は、開国後来日駐留した初代領事ハリスの交渉で行われる。つまり交易にアメリカだけが二度手間をかけている。これは日本側の鎖国の姿勢がそれほど固かったのだ。だから開国のキッカケがほしいペリーにとって、松陰の、「アメリカに行きたい」という申出は、任務遂行のうえで、大きな意味を持っていた。実2022.1146[第120回][第120

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