エルダー2022年12月号
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■■■■■が■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■源■為■朝■にもあります。〝弓の名人〟合戦の始末平家の船団のなかには安■徳■天皇がおられました。守っているのは故平■清■盛■の妻徳■子■です。天皇の印である三種の神器も守っていました。宝■剣■・宝■鏡■・宝■珠■です。味方の船がつぎつぎと沈みはじめたので、徳子は、「天皇と神器を抱いて海に身投げしよう」と心を決めました。天皇はまだ五歳か六歳の幼帝です。「陛下、竜宮へ参りましょう」と誘うと、天皇はよろこびました。「乙■姫■に会えるのだな? う」とびこみました。気づいた義経「掬■え!」といいましたが間に合いません。それでも神器の宝鏡はどうにか掬いましたが、宝剣は間に合いませんでした。いまでもこの近辺行こ童■になり、近くの川に棲■家■を得ま筑■後■川の支流をもらって大河童に頼■朝■は憎みました。義経は兄が〝日の海底にあるはずです。沈んだ平家の武士たちはみな河■した。徳子と侍女たちは久■留■米■の水天宮の巫■女■になりました。徳子の夫平清盛は先に死んで、なっていました。このことを知って徳子に、「オレもそこへ行っていいか?」と訊きましたが、徳子は、「ダメ。平家をほろぼしたのはあなたですから。絶対にこないでください」と拒みました。清盛は怒って暴れました。川に大波が立って流域に住む人々がたいへん迷惑をしたそうです。宝剣を拾えなかった義経を兄の本一の大天狗〟と呼ぶ後■白■河■法■皇■を頼りましたが、すぐ見放されました。東国・東北・エゾ(北海道)と逃■れ、大陸へ渡ってモンゴルに行き、チンギスハーンになった、という伝説があります。同じような話が義経と同族のといわれた為朝は、父為■義■とともに平家にそむいて敗れました。捕えられて伊豆の島に流されました。が、不屈のかれはそばを流れる黒潮を利用し、「運を天にまかせよう」と、小舟に乗って島を脱出しました。流れついたのが琉球(沖縄県)です。沖縄本島に〝運天港〟という標識が立っている所がありま着した所〟だといわれます。家が、じである」として、なった」にはありません。それだけに、「敗れし者への同情」が多く寄せられるのでしょう。「平家の落■人■が、かくれ住んで子孫が地域を守ってきた」という、悲しみからスタートした〝平家の落人ばなし〟は、いまでも日本の各地にありますね。それにしても壇の浦のイルカの話は傑作です。発想が面白いです。おそらくイルカに衝突されて舟を沈められた漁夫がいたのかもしれません。35エルダー((王王ににななるる))ががあありりまますすがが、、平平家家源源氏氏ににはは敗敗れれててももここうういいうう話話とと、、歴歴史史ににししたたここととががあありりまますす。。「「流流れれつついいたた為為朝朝はは琉琉球球王王にに「「日日琉琉((日日本本とと琉琉球球))のの祖祖はは同同ここののここととをを利利用用ししたた琉琉球球のの政政治治すす。。〝〝運運をを天天ににままかかせせたた為為朝朝がが漂漂

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