エルダー2022年12月号
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第回■■■私は福島県いわき市で生まれました。いま、テレビの大河ドラマで話題となっている源氏ゆかりの源義家の和歌で名高い勿■来■の関■のすぐ近くです。上京して世田谷区内にあった看護の専門学校に入学しました。父が事故で入院したとき、お世話になった看護師さんのやさしい姿に触れたことが同じ道に進むきっかけとなりました。2年間学んだ後、都内の病院に就職しました。当時の看護師の業務は多岐にわたり、検査の仕事なども担当しました。激務でしたが、患者さんとの日々の語らいや病気が癒■えて退院されていくときの笑顔に出会うたび、看護の道を選んでよかったと心から思ったものでした。しかし、人生には転機があります。縁あって26歳で結婚、退職して専業主婦となりました。いま、私の娘は子育てをしながら働き続けており、女性が子どもを育てながら自分のやりたい仕事ができる時代をうらやましく思いますが、当時の私は家庭に入ったことに悔いはありませんでした。子どもたちとしっかり向き合う時間を重ねられたことは何物にも代えがたい大切な経験であったと思っています。PTAの役員も積極的に引き受け、そこで学ぶこともたくさんありました。に戻り、5年ほど暮らしました。いわき市はとてもよいところですが、やはりこれからの生活を考えると都会に出るべきだと考え、縁あって埼玉県八■潮■市に転居しました。そのころ八潮市で貨物運送事業を手がけていた大熊運輸株式会社の大熊淳社長と従弟同士であったことから、夫は大熊社長の仕事を手伝うことになりました。展開する一方、会社の敷地内に作業所を新設して、荷主企業さんからセットアップ作業の請負を開始します。セットアップ作業とは、すでに包装された食品などを手際よく化粧箱に詰める作業のことで、食品などを直接梱包する「一次包装」に対し、「二次包装」といわれる作業です。請負の数が増えるにつれ人手不足となり、子育てが一段落した私に「働いてみませんか」と声がかかりました。本音をいえば夫と同じ職場は避けたかったのですが、体を動かすことは好きですから、思い切っ大熊運輸株式会社は、一般貨物運送事業を小■ ■ ■須賀ミイ子さん小こ須す賀がミイ子さん(71歳)は子育てを終えて現在の会社に入社。パート従業員として現場の第一線に立ち続けている。女性中心の職場で、働く仲間といたわり合いながらだれもが活き活きと、長く働き続けることができる職場環境の創出に力を注ぐ小須賀さんが生涯現役の秘訣を語る。「娘はいま、とてもがんばっています」と小須賀さん。専業主婦の道に悔いはないけれど、仕事と家庭の両立に奮闘する娘さんにエールを送る声はやさしさに満ちている。看護の道から専業主婦の世界にパートとして四半世紀26歳で出産した後、一時期故郷のいわき市パート従業員2022.1240オークマプラス株式会社高齢者に聞く77

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