エルダー2023年2月号
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ムラ技術短期大学校の時代を経て、2011年からは現在の訓練センターにおいて、新人研修やリーダー研修などを行い人材を育成している。訓練センターの役割について清久さんは、「当社は創業直後、戦後初の国産飛行機製造や国内初のオートマチック車『ミカサ』を開発するなど、技術者の飽くなき探求心が原点にあります。当社のモットーに“よい品は結局おトクです”とある通り、われわれ生産部門の役割は、よい品質の製品をお客さまに提供することです。そして、それを支える技術者を育成するのが訓練センターであり、単に技術を教えるだけでなく、当社の理念に共鳴して世の中の役に立つ“ひとづくり”を行うことも重要な役割となっています」と語る。実は同社では、2000年にオカムラ技術短期大学校が休校となった後、団塊世代の技術者が定年を迎え始めたため、技術・技能を次の世代に引き継いでいく場がなくなった時期がある。この事態に危機感を募らせ、ひとづくりの歴史を途切れさせないよう、訓練センターの開校を提案したのが、現在技能伝承のキーマンとして活躍している畑岡さんだった。「いまの私があるのは、社内の訓練でしっかり技術を仕込まれたおかげです。その後もさま浜ぱ事業所内に訓練センターを開校。畑岡さんはざまな経験を積み上げるなかで得られたものを会社に残すのが責務だという思いから、センターの立ち上げを提案しました」(畑岡さん)同様に技能伝承のための場が必要だと感じていた当時生産部門の責任者であった現社長や、ほかの役員などを交えて社内で検討を重ね、追お初代の所長に就任した。所長になった畑岡さんがまず取り組んだのが技能五輪への参加だ。「技能評価の指標として技能検定もありますが、これは絶対評価で点数によって合否が決まります。しかし、技能五輪は相対評価ですのでうこともある。この考え方は、ある意味でビジネスに通じるものです。自分たちだけの判断で『何点以上の製品だからOK』ではない。それが技能五輪の一番の意味だと思います。求めてくれる人がいるのであれば『できない』といわずにやってみる、鍛錬して自分を追い込んで向上していく、というのがいまの時代には大切な考え方だと思います。そうして鍛えられた人が会社に大勢いれば会社の文化が変わります。私自身、そういう考え方を持った人たち大勢と海外で触れ合ってきましたので、特に大事だなと感じています」(畑岡さん)しては畑岡さんが思い描いているところへ到達できるように、バックアップしていきたい。技能五輪国際大会でも活躍できるレベルをセンター全体で目ざしていきます」と畑岡さんの思いをしっかりと受けとめている。り、畑岡さんが心がけていることは、目標を明確にすること。「目標を明確にし、先を見た考え方をまず教えます。それに基づいて計画はどうすべきか、ゴールから逆算することが大切です。これは仕事と同様で、作業を『やりました』だけではだめ。やって、売って、利益が出てはじめてゴールになる」と畑岡さんは強調する。そんな畑岡さんから見て、最近の若手の気質は変化しているのだろうか。「若手の気質というより、社会が変わってきました。技能五輪の指導を始めたころは、夜11時くらいまで特訓をして、帰れなければ近くのホテルに選手を泊まらせて、私は車中泊をしたこともありました。もちろん、いまはそういったやり方はできません。行き過ぎた指導はいけませんが、訓練なのである程度の厳しさは必要現所長である小林さんは、「訓練センターと技能五輪に挑む選手たちを指導するにあたまっ8働き方が変わっても技能の習得には厳しさが必要60点で勝てることもあれば、95点で負けてしま

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