エルダー2023年2月号
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意外な家康の人質時代歴史で「人質」というと、城の一隅や土牢に入れられて、しめっぽく暗い印象があります。ところが、必ずしもそうではありません。例えば、今年の大河ドラマの主人公・徳川家康が例外です。家康は八歳のときから駿■河■(静岡県)の実力者今■川■義■元■の人質になりました。生家の松平家は三■河■(愛知県)の岡崎城主でしたが、まだ力の弱い地方豪族だったので、現在でいえばM&A(買収・合併)です。ところが、当時竹■千■代■といった家康は勇気ある少年でした。三十人ほどの少年家臣を供に連れて行きました。母のお大■が、「今川家にいる間の費用は、お母さんがみるから安心して暮らしなさい」といってくれたからです。竹千代は安心して今川家から土地と家を借り、少年たちも住まわせました。暮らしぶりは岡崎城時代とあまり変わりません。三十人の少年たちのなかには、のちに大名になって天下人の家康を支えた人物がたくさんいます。なかでも母お大の弟・水■野■勝■成■は、献身的な家康ファンで、「竹千代様にはいのちを捧げる」という忠勤ぶりでした。お大からの差入れの受取りや、その始末を行い、日常の世話もしました。このころの今川家は甲斐(山梨県)の武■田■信■玄■と同盟をむすんでいました。塩の買入れやその他でよく使者が往来します。そのたびに人質をバカにします。数年後には三河少年群も加齢し、元■服■(成人式)を迎えました。ちょうど武田家からきた使者がこ2023.236■■■■■■■■■■■■■■■■[第123回]

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