エルダー2023年2月号
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未来の宝の育成飛■■沫が武田家の使者にかかり、のことを知ってからかいました。「一人前になっても人質では何もできまい」少年たちはくやしがり、くちびるをかんで家康をみました。家康はニッコリ家臣たちに笑い返し、その時いた今川家の城の廊下に立ってハカマの前をめくり、音を立てて放尿しました。使者はビックリしてとびのきました。青年になった三河少年群は手をたたいて喜びました。「やはりオレたちの主人は勇気がある。さすがだ」と、家康に頼もしさを感じました。こんな話もあります。水野勝成が供をして、家康が近くの安■倍■川■に散歩に出かけました。河原では子どもたちが石合戦(石の投げ合い)をしていました。家康が聞きました。「勝成、どっちが勝つと思う?」「そうですね、やはり数の多い岸の向こう側の連中でしょう。若君は?」「わしはこっち側だと思う」「なぜですか?」「数が少ない。そのために結束する。わしたちと同じだ」「なるほど。そうですね」家康ファンの勝成はすぐ家康のいうとおりだと思いました。結果はそのとおりになり、数の少ないこっち側が勝ちました。「若君のおっしゃるとおりです!」自分の推測がはずれたのに、勝成は喜びました。そういう主従だったのです。そして、そういう人質生活だったのです。こんなありさまなので、岡崎で出入りしていた商人もやってきました。お大に頼まれた品物を届けるためです。あるとき、オウムを持ってきた商人がいました。「若様、この鳥は人間のマネをしますよ。おもしろいから、おそばにお置きください」「いらない、持って帰れ」「なぜですか?」「わしは人マネは嫌いだ。だから鳥でもゆるさない」まわりにいた家臣たちは顔を見合わせました。目が輝いています。「カッコいい!」「頼もしい!」家康は家康なりに自分を磨いていきました。家臣の青年たちも必死に自分たちを鍛えていきました。これがのちに天下人の豊臣秀吉から、「徳川殿の宝は何ですか?」と聞かれたときに、「私のためにいつでも生命を捨てる家臣たちです」と答える結果を生むことになります。人質暮らしは決してミジメではなかったのです。■■37エルダー

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