エルダー2023年3月号
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33エルダー食文化史研究家●永山久夫アシタバは、「明日葉」と書くように、「今日摘んでも、明日になると新しい葉がつく」といわれるほど、生命力が強く、八丈島を中心に伊豆七島に多く自生している日本原産のセリ科の植物です。江戸時代の本■■草■■学者で、養生学の大家である貝■■原■■益■■軒■■は、『大■■■和本■■草■■』のなかで、「八丈島の民多く植えて、朝夕の食■■糧にあてている。彼■■島■■は米殻なき故なり」と述べています。島で穀物が不足したときには、代用食として重要な役割も果たしていたのです。アシタバは、カルシウムが豊富に含まれているのが特徴で、カルシウムの利用効果を高めるビタミンKも一緒に含まれているので、骨を丈夫にするうえでも役立つ野菜です。また、アシタバは食用だけではなく、民間薬として用いられてきた歴史もあります。注目したいのは、茎などを折ったときに出る黄色の液体です。これはポリフェノールの一種であるカルコンという成分で、老化防止に加えて、抗菌、ガン予防、血行促進などの働きがあります。さらに、ビタミンCやビタミンE、カロテンなどが豊富に含まれており、血栓予防や血圧の安定などにも効果があります。つまり、不老長寿に効果的な薬草なのです。さらにアシタバには、ウイルス感染を防ぐうえで効果のあるミネラルの亜鉛も含まれています。NHKの大河ドラマ『どうする家康』は、なかなか面白い展開で、いま話題を呼んでいます。関ケ原の合戦の場面もやがて登場すると思われますが、この合戦による敗北側の武将の人生には厳しいものがありました。1600年に関ケ原の合戦で西軍(豊臣方)の総大将であった石■■田■三■■成■■の副将として戦った宇■■■喜多秀■■家■■は、57万石の大名から、八丈島へ流され流人となってしまったのです。島での生活は困窮をきわめました。東軍(徳川方)との合戦が終わったと思ったら、飢えとの戦いが始まったのです。島には水田がほとんどなく雑穀ばかり。あとは大根や芋類の畑作物。しかし、わずかに山菜や海藻、イワシがとれ、貝も拾うことができました。そんな苦しい生活のなかで、力になったのはアシタバでした。八丈島で暮らすこと50年。秀家は、1655年に83歳で悠々と大往生しました。75歳まで生きた徳■■川■■家■■康■■より8年も長生きしました。関ケ原では負けましたが、長寿合戦では勝利したのです。代用食や薬草としても役立つアシタバアシタバで長生きした戦国武将FOOD352日本史にみる長寿食アシタバは島の長寿草

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