エルダー2023年4月号
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同窓の仲間たちが銀行や商社へ進むなか、地道な道をコツコツ行くのが自分に合っていると、半官半民の特殊法人に就職。後から思えばまさに天職との出会いであった。根気を育んだ農作業の経験あらゆる部門で鍛えられた日々第回■■■私は山形県山形市の郊外、長■谷■堂■という農村で生まれ、実家も農家でした。高校までを地元で過ごし、大学進学にともない上京しました。都会に憧れて郷里を離れたものの、私が通っていた一橋大学の校舎は東京都下にあり、1・2年は小■平■市、3・4年は国■立■市という大学生活で、近くにはまだ、桑畑や栗林がありました。一橋大学は社会科学系の大学ですが、私は社会学部で精神分析学を専攻しました。兄2人が教職の道に進んだ影響を受けたせいか、漠然と社会科の教師を目ざしていましたが、教職の門戸は狭く、早々と断念しました。忘れられないのは、社会心理学者として名を馳せていた故・南■博■教授との出会いです。米国帰りの洒落た雰囲気を身にまとい、細身の体からは香水の香りがして、私たちゼミ生たちの憧れの的でした。先生の生き方というか、そのダンディズムに都会の生活の最先端を感じさせてもらい、恵まれた学生生活であったと思います。私は兄2人、姉1人の末っ子ですが、狭い農地を耕しながら子どもたちを大学に通わせてくれた両親には感謝しています。農家はだれも継ぎませんでしたが、農作業の手伝いは■■■■■■小さいころからの日課でした。粘り強いことを身上とする私の性格は、農作業の体験によってつちかわれたような気がしています。機関に入社したのは、第一次オイルショックの翌年でした。最初に配属された部署では、教育講座の企画と運営を担当。3年後には新設された国際関係の調査部門に移り、日系の海外進出企業に進出先の労働情報を提供する仕事にたずさわりました。国際協力機構(JICA)から受託した技術協力事業では、海外の人と接する機会も増えてやりがいもありましたが、英会話が得意でないこともあり、しばらくして出版事業を行う部署に異動となりました。技術を基礎から学ぶために、編集や著作権の専門機関へ通わせてもらえたことには、いまも感謝しています。そのほか自己啓発として文章教室や校正講座などさまざまな講座や研修を受講しました。現在、校正や校閲の仕事労働に関する総合的な調査研究事業を行うまったく未知の世界であった出版物の編集2023.444高齢者に聞く 片桐良吉さん(71歳)は、労働関係の機関で書籍などの編集にたずさわってきた経験を活かし、現在はフリーランサーとして月刊誌の校閲や校正の仕事を手がけている。図書館業務にもたずさわり、間口の広い活動を続けてきた片桐さんが、生涯現役の日々を豊かに生き抜くヒントを語る。80フリー編集者片■■ ■■桐良■■■吉■■さん

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