エルダー2023年5月号
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長崎の貿易娘大■店■の油屋だった。しかしお慶はお慶■の家は長崎の何代も続いた満足できなかった。日本(徳川幕府)は鎖国をしていたが、オランダ・中国・朝鮮とは交流していた。そのため幕末には国内の世論は二つに分かれ、「思いきって世界中の国々と交易すべきだ」と主張する開国派と、「日本国の純粋性を貫くために、外国とは交流を断つべきだ」という攘夷派が対立した。お慶の店にはその両派が出入りした。お慶は情報を得るために、両派ともうまくつき合った。開国派の代表は土佐(高知県)人の坂本龍馬だった。「海援隊」という船隊をつくり、大名家(藩)が必要とする物資の調達と搬送を行っていた。明るくいつも冗談をいってはまわりを笑わせた。そのなかには大ボラもあったので、「坂本さんは大ボラ吹きだ」といわれた。お慶は独身の娘だったが、男を〝品性の人〟と〝品行の人〟とに分けていた。「たとえ品行はよくても品性のわるい人はキライ」「品行はわるくても品性のよい人は好き」という具合にである。この基準をあてはめると、坂本龍馬は後者であり、熊本藩士の遠山一也やイギリス人のオールトは前者だった。安政3(1856)年、アメリカ総領事のハリスによって日本の鎖国はコジあけられ、世界の2023.534   ■■■[第126回]

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