エルダー2023年5月号
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上司に相談してもらいました。上司からは私の英語力や資格についてたずねられたそうですが、英語は話せないし、資格も水の事故が多発する地域で働いていたころに取得した小型船舶の免許ぐらいです。自分の力のなさに暗い気分に陥りましたが、そのことが逆に、何か新しい仕事に挑戦してみようと、自らを鼓舞させるきっかけとなりました。「オハナ」で働くようになって、1年が過ぎようとしています。ー私も妻もパンが好きで、パンの情報にはアンテナを広げていましたが、あるとき、塩パンのおいしい店が開店したと聞き、オフの日に妻と二人で出かけました。2014(平成26)年のことで、私はまだ現役の警察官でした。おいしそうなパンに圧倒されながら、心に響いてきたのは「オハナ」という店のネーミングでした。私は48歳のときに心筋梗塞で倒れて以来、考え方が大きく変わり、「せっかく授かった命を大切にして、人生を楽しもう」とその年から夫婦で毎年ハワイに出かけています。だから、すぐに「オハナ」にはハワイ語で「家族」という意味があることがわかりました。血縁だけでなく、友だちや仲間も包み込む深い言葉であり、「素敵な名前ですね」と私は思わず店員さんに声をかけました。その人は笑顔で店の奥に入っていくと一人の男性を連れてきました。それがオーナーとの最初の出会いです。そのときは挨拶を交わしただけですが、私の第二の人生に大きくかかわる出会いになろうとは、人生は本当におもしろいなあと思います。「道の駅はなぞの店」は「オハナ」2号店として2017年5月にオープンしました。私の自宅から近かったこともあり、すぐに出かけていきました。2号店ということで指導に来ていたのか、店の奥にオーナーの姿を見つけました。店が混んでいたこともあり目顔で挨拶、これが2回目の出会いであり、これで終わっていたらいまの私はありません。3回目の出会いはハワイのカラカウア通りでした。思いがけない再会にお互いに驚き、不思議な縁を感じ、どちらからともなく連絡先を交換して別れました。退職を迎える数カ月前に冗談半分で「退職したらお店で働かせてください」とメールを送ると、「その際はご連絡お待ちしています」と返信がきました。いたとき、ふと頭に浮かんだのが退職前のそのメールのやりとりです。思い切って連絡をすると、面接をしてくださるとのこと。そのとき初めて私の経歴をお話ししました。しかしオーナーはすでに、私の素性を知らないまま採用を決めてくれていました。そして2022(令和4)年4月に、パート従業員として入社になったのです。ンを揚げる作業の指導を受け、いまでは完全に任されています。そのほかにはお菓子の生地にクマのデコレーションをしてお客さまにお出ししていますが「かわいい」と喜んでくださったり、常連のご高齢のお客さまとの会話も私の働く喜びとなっています。包丁を使うことも多いのですが、わが家は共働きで私も家事をこなし、包丁の扱いに慣れていたため即戦力となることができました。若い人たちと楽しく働かせてもらっています。コミュニケーションが豊かな職場が、だれもが活き活き働ける環境をつくり出すと思います。縁の糸を紡ぎながら、ひいきにしていた大好きな店で、生涯現役の日々を大切に重ねていこうと思います。交番相談員を終え次のステップを模索して初日からオハナの人気商品であるカレーパ私は材料を準備するポジションにいるので週3日、8時から14時までの勤務が基本で、日野原さんが警察官から180度転換してパンの製造にかかわるようになったのは、直営店やフランチャイズ店を展開しているベーカリーズキッチン「オハナ」の久■保■田■浩■司■オーナーとの劇的な出会いであった。縁の糸が紡がれて生涯現役でパンづくりを41エルダー■高齢者に聞く

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