捨て身のお龍なのだ。薩摩藩の定宿の域■を超えて、〝坂本龍馬の個人宿〟になっている。龍馬の事件にはお龍■という娘がからむ。お登■勢■という女性もからむ。お登勢は、伊助の妻だ。ある日、やくざにからまれて難渋していたお龍を龍馬が救った。寺田屋に連れてきて住みこみの女中にした。娘はお龍と改名した。もちろん龍馬にあやかってだ。襲撃された日、お龍はしまい(最後の)風呂に入っていた。庭からくる刺客の気配を感じた。落ちついた娘で慌てずに湯■櫓■から出て階段を上った。龍馬は階段上の角部屋にいる。「先生」手まねで刺客の襲来を告げた。着物を着る時間も惜しんだので、生まれたままのスッポンポンだ。「ありがとう。しかしその格好は「おはん(龍馬)の指揮する土佐龍馬は笑った。何だ?」とからかった。お龍ははじめて自分の姿に気づき、まあ、と恥じて手でからだをおおった。龍馬はピストル(高杉晋作からもらった物)をかまえながら、屋根伝いに薩摩藩邸に逃れた。事件直後、お龍は龍馬の妻になる。新婚旅行に日■■向(宮崎県)の山を選ぶ。〝天■孫■降■臨■の峰〟を訪ねるのだが、西郷隆盛(吉■之■助■)からの依頼もあった。ス)から、軍艦と大砲を買ってほしい。薩摩は幕府からニラまれているので」と頼まれていたからだ。日向の天孫降臨の峰には記念碑が立てられていた。龍馬はこれを引きぬいて逆さにした。お龍は手を拍■ってよろこんだ。二人にとって幸福な時期だった。鹿児島の西郷の家では、西郷の妻が西郷のふんどしを龍馬にくれた。龍馬は笑って受け取ったがお龍が怒った。新しい物に買い替えた。西郷の妻に悪気はなかった。「きれいに洗って干したのに、もったいない」と逆にお龍のふるまいに不満を持った。お龍は、「もう用事はすんだでしょ。こんな所は早々に引きあげましょう」とうながした。一連の行動をみていると、このころの人びとの行動原理は、普通人の普通の生き方ではなく、「短い時間にすべてを賭ける(生命を投入する)」という、〝一点集中主義〟が感じられる。お龍はその典型だろう。彼女にとって龍馬は、生きるすべてだ。「龍馬さんのためなら」という〝なら〟が常にある。それは、「龍馬さんのためなら、死んでもいい」と、自分の生命を投げ出す域にまで達している。それによって何かが得られる、という損得の計算は一切ない。それがわかるから龍馬のほうも、一切を投げ出して国事に奔走できたのだ。まさに、「生命が火花となって散った時代」なのである。それを感じとって幕府にニラまれていることを知りながら、龍馬とその仲間を泊まらせ続けた寺田屋伊助とその妻お登勢のふるまいも、常人のものとは思えない。しかもその精神は、「数年かかっても、屋号ぐるみの名を戸籍名にする」と、家庭裁判所に通い続けた店主に引き継がれた。明治維新実現のエネルギーの一端は、意外とこういう人たちにあったのかもしれない。■■海■援■隊■の名で、エゲレス(イギリ■■■■■■ ■■■■■■ ■ 31エルダー
元のページ ../index.html#33