■■さらにチエを発揮「川越を不燃都市にしよう」といって現在も残る白壁の倉をたくさんつくりました。いま、その白壁の倉には観光客がたくさん訪れています。信綱はさらにチエを重ねて老■中■(大臣)になりました。江戸が大火災になり、江戸城の天守閣も燃えてしまいました。老中たちはさっそく大会議です。「なによりも天守閣の再建が急務です」という、ある老中の提案にみな賛成です。ところが信綱は反対です。理由は、「城の天守閣は合戦のシンボルです。いまは平和な世の中で合戦はありません。そんなシンボルより被災者の復興手当にまわしましょう」なるほどそのとおりだ。松平殿は相変わらずチエ者だ、とみんな「平和な世の中に、そんなものは〝チエいず〟といわれ、かれ自身「鼻の頭を低くしろ」も賛成しました。いまも観光客が多く訪れますが、観られるのは土台の石だけで天守閣はありません。これは、いらない」といった信綱の約三百六十年前のチエによるものです。信綱のチエはさらに江戸を防火都市にし、そのいくつかはいまも残っています。かれはまわりからも「オレはチエ者だ」と思いましたが、そのチエをすべて世の中のために使ったために学者からもけっして、などとはいわれませんでした。最後は、老中筆頭(いまの総理大臣)になりました。そんなときに九州の島原・天草で農民が一揆を起こしました。原因は増税です。しかも一揆の大半はキリシタンです。幕府はすぐに鎮圧のために九州の大名を動員し、総大将と副大将を派遣しました。総大将は一万石の小大名、副大将は三千石の中堅旗本です。信綱はすぐ意見を出しました。「これでは鎮圧できません」「なぜです?」「九州の大名がいうことをききません」「なぜいうことをきかぬのです?」「総大将の格が低いからです。動員された大名はみな二十万石、三十万石の大名ばかりです。一万石の小名の命令はきかないでしょう。みなさん、ご自分の身で考えてはいかがですか?」そういわれて列席者は考えました。一人ひとりが信綱のいうことに対して、(なるほど松平殿のいうとおりだな)と思いました、つまり、(たしかに自分なら一万石の小名なんかの命令なんかきかないな)と感じたのです。そこでみな、「松平殿、たしかにおっしゃるとおりです。で、どうなさいます?」「私が行きます。副大将ももっと格が上の旗本にして」「え!」みなビックリしました。このころの信綱は老中格(老中〈大臣〉と同じ扱い)になっていたからです。そんなことをしたら、現地でも、「まさか!」と思うでしょう。ところが信綱は笑って、「私がいい出したことです。戸田さん、ご同行ください」と、十万石の石高の仲のよい大名を副大将にして、本当に九州に行ってしまいました。有言実行です。現地では驚きました。いまの将軍(三代目家光)最大のお気に入りの側近〝チエいず〟のお出ましです。さすがの猛者大名たちも、もう文句はいえませんでした。35エルダー■
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