エルダー2023年8月号
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■■■■任■侠■心■でふるい立つつづくが上を越える)〟で、当時の風潮だ。義輝には細■川■藤■孝■という機敏な重臣がいて、これが次の将軍候補者義秋(このころ。義輝の弟)を救出した。義秋は奈良の寺にいた。二人は、「義秋を将軍にしてくれる有力大名探しの旅」に出た。世間から社会退去を迫られたのに、逆に復活を希■ったのだ。が、そんな希いに応ずる大名などいなかった。わずかに尾張(愛知県)の織田信長だけが自分の野望(天下進出)のためにこれに応じた。このころの昭光は誠実な義昭       ■ ■■■ ■ ■■■  ■■■■■■  奉公衆の一人だった。それほど義(義秋改め)の家臣だった。幕府昭と昵■懇■ではない。ただ生家が代々地域の豪族で、ときの将軍に奉公衆として仕えていたにすぎない。「将軍はこういう権威(ステータ「将軍には何の権威もない。ただところが義昭を将軍にした信長はヘンな男だった。義昭は、ス)を持っている」ということを、懸命になって示そうとしているのに、信長は逆だった。の木■偶■人形だ」という無権威的存在であることを、これでもかこれでもか、と示し続ける。本当のことをいうと、昭光にはそんなことはどうでもよかった。生年月日や姓名にすら関心を持たないように、かれは通常の関心事には関心を持たない。早くいえばニヒル(虚無主義。生きることに意義を認めない)なのだ。普通なら暮らしが辛くなるのだが、かれの生家は名家で〝長■者■〟といわれている。金持ちだ。このときになって初めて心がふるい立った。義昭をイジって(イジメて)、これでもかこれでもかと〝社会退去〟を求める信長に猛烈な反■撥■心■を湧き上がらせたのである。「信長はケシカラン、一体何のために義昭様を将軍にしたのだ?」と、基本的なことから怒りはじめた。いわゆる〝任侠心〟が湧き、これに火がついたのだ。結果、「オレは義昭様の家臣だ。これからは義昭様と行■をともにしよう」と決意した。ニヒルな心にムチ打って、はじめてヤル気を起こしたのである。しかし、その最初の仕事が信長のイヤガラセによる義昭の、「将軍職廃止、社会からの退去」であった。もう引き下がれない。「いいよ、義昭様のおともをしようじゃないか」昭光はニヤリと笑った。心はそのつもりで固めてある。何でもこいだ。義昭がいった。「真木嶋の家を貸せ」「どうなさいます」「信長と一戦かまえる。城にする」「あのボロ家を?わかりました。おともします」「へえ、意外と忠臣だな。全然ヤル気がないと思っていたが」「ヤル気はありませんよ。信長の奴がニクいだけです」「オレもそうだ。よし、それでいこう」主従の心は一致し、きずなになった。31エルダー

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