エルダー2023年8月号
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張りのある声で滑舌もよく、記憶の糸を見事につなげながら淡々と話す本田さん。90歳で現役ということが、周囲にたくさんの希望を与えてくれるだろう。心を込めることを忘れずに命の大切さを胸に第回■■私は熊本県熊本市に生まれ、いままでずっと熊本で暮らしてきました。今年の2月に90歳になりましたが、自分がこれまで歩いてきた道をふり返ると、さまざまなことが次々に浮かんできます。子どものときから体を動かすことが好きだったことが、90歳になったいまも現役で働いていられることにつながっているのだと思っています。以前は病院で介護の仕事や大学のキャンパスで清掃などをしてきました。病院では看護師補助の仕事でしたが、多くの患者さんに出会い、さまざまな人生を目にすることで、まさに自分の人生の勉強になったと思っています。心がけてきたのは、一つひとつの作業に「心を込める」ということです。ポータブルトイレや車いすに乗ってもらうときでも、心を込めて笑顔を忘れずに接すれば、こちらの気持ちが届いてスムーズに仕事が進みます。病院のリネンの仕事もしたことがあります。とにかく与えられた仕事はどんなことでも、心を込めてやってきました。二つの病院で通算14年ほど介護の仕事にたずさわり定年を迎えました。その後は大学で7年ほど清掃の仕事に従事し、67歳で二度目の定年を迎えました。ここから私の第二の人生が始まったのです。とに触れておきたいと思います。終戦は12歳のとき。終戦間際にはほとんど授業はなく私たちもお茶摘みの仕事などに動員されました。作業しているときに空襲警報が出ると、思わずお茶の葉を入れていた目■籠■を頭にかぶりました。目籠は粗く編んだ竹籠で、熊本の方言では「めご」と呼んでいます。竹籠では何の役にも立たず笑い話のようですが、これが戦争というものだと子ども心に思ったものです。か空襲を受けますが、一番大きかったのが7月1日で、熊本大空襲と呼ばれています。熊本市街地に焼■夷■弾■が落とされ、たくさんの人が亡くなったそうです。わずか12歳ながら、戦争のことはよく覚えており、二度と戦争がないことを祈るばかりです。切さについては人一倍身に染みています。私自身は幸い大病もせず、90歳になったいまも元気に働かせてもらっていることに感謝していまの仕事のお話に入る前に少し戦争のこ1945(昭和20)年になると熊本も何度私は病院での勤務が長かったため、命の大■■マクドナルド熊本下通店クルー本■■田■民■■子■2023.836 本田民子さん(90歳)は、介護職などを経て現在はマクドナルドの熊本下通店で週5日、メンテナンスクルーとしての業務を元気にこなしている。はつらつと働く姿が若い同僚を励まし、マスコミからも熱い視線を浴びる本田さんが生涯現役で働く喜びを語る。日本マクドナルド株式会社高齢者に聞く84さん

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