エルダー2023年9月号
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■■宴■をひらいた。最初のうちはつ■■■■■■■■■■■■■■■■■■義昭死すつづくにある港だ。安■国■寺■もある。いったん都を遂■われた家祖の足利尊氏が再起の兵をあげ、成功した地でもあった。(いくらか気持ちが高まるかもしれない)いまはもうマイナス状況のなかで、プラスになる要因を探して義昭を励ますよりほかに方法はない、と思っている昭光はワラにもすがる思いだった。そんな忠誠心も知らずに義昭は迷惑がる港の旅宿で、景気づけのきあった毛利家も、かんたんに見放した。それどころではなかった。一族をあげて織田信長軍(派遣軍の指揮者は羽柴秀吉)と戦っていた。戦況は必ずしも思わしくなかった。一族の小■早■川■隆■景■などは、「機をみて、和を結んだほうがいい」といい出していた。「ちょうど鞆の津に前将軍がおられる。人質にできますよ」と非情きわまることまでいい出す。が、戦国は〝非情の論〟で成立する。〝道〟だの〝礼〟だのはない。昭光をもっと非情なことがおそった。ある日、外の用から戻ると、義昭が死んでいた。供をしてきた者がオロオロして遺体を囲んでいる。「どうしましょう」昭光をみるとすがりついた。「どうしましょうって何をだ?」「上■様■(義昭)のことです」「もう亡くなっているンだろ?」「そうです」「ならばそれに見あった礼をつくすまでだ」「何をするンですか」「葬式だ。それが武士としての最後の礼だ」「ここでやるンですか?」「いや、京都でおこなう。等■持■院■という足利家の菩提寺がある。そこにお願いする」「引き受けてくれますかね」「菩提寺でことわるようなら、世も末だ」そういいながら昭光は義昭に呼びかけた。「上様、こういうのって、ありですかね? たよ」しかしいくら疲れても昭光にとってはまだ終わりはこなかった。葬式のことでもう一■悶■着■起こったからだ。悶着の相手は羽柴秀吉だった。日本の武士は〝侍(サムライ)〟とよばれて珍重される。その理由をぼくは、いいかげんに疲れまし健■のくらしを守り、決してゼイタ「武士道をつらぬくからだ」と思っている。武士道は質■実■剛■クはしない。いわゆる社会的弱者をけっしてイジメない。逆に守る。つまり、「弱きを助ける守護神」なのだ。これはヨーロッパの〝騎士(ナイト)〟に似ている。「日本のサムライはナイトだ」という認識を欧米の人びとは感じたのではあるまいか。最近では野球のWBCで、選手たちがその役割を果たした。根っこにあったのは〝道〟だ。〝礼〟である。これを守った。真木嶋昭光は立派なサムライだった。33エルダー

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