大橋負傷者数の増加と災害発生件数の増加は気になるところです。新型コロナウイルス感染症の5類移行後の状況を注視する必要があると考えています。一方、死亡者数は1960年代半ばの6000人強をピークに減少し、10分の1近くになりましたが、この10年は減り幅が鈍化しほぼ横ばい状態です。死亡者数が減少した要因としては、じつは医療体制の変化が大きい。ドクターヘリやドクターカーによる搬送技術の進歩や、三次救急※2での医療技術の向上などの要因が間違いなくあります。企業を対象とした講演では「産業の現場の方には申し訳ないが、みなさんの努力が少なくとも死者数の減少には響いていないと思われます」と話しています。―厚生労働省が発表した2022(令和4)年の「労働災害発生状況」によると、死亡者数は774人で過去最少、休業4日以上の死傷者数は過去20年で最多となりました※1。ということでしょうか。―「新たな視点」とは心理学的アプローチ日本の労働安全衛生において最大のトピッ す。しかし、なぜ死亡者数が横ばいで減らなクは1972(昭和47)年の「労働安全衛生法」の成立です。その思想は事故を引き起こした当事者を罰する責任追及で終わらせるのではなく、原因追及に力点を置いています。結局、ヒューマンエラーは組織のなかの何らかの不具合が人のミスとなって表に出てくるものであり、組織の問題が顕在化した結果なのです。労働災害においても顕在化した部分だけを指摘しても意味がありません。労働安全衛生法成立以降は、組織の内部にある背後要因を一つひとつ潰していく対策が取られてきました。死亡者数も減少し、労働災害発生件数も全体的に見れば減少傾向にあるのは、労働安全衛生法の効果が間違いなくありまいかといえば、労働安全衛生法の成立から50年間、やり方を変えなかったことが大きいのではないかと私は考えています。つまり原因追及を徹底して行うだけではなく、そこに新たな視点を追加することが必要なのです。大橋し、獲得したその情報を処理しています。すべての行動はそれらの情報を自分のなかに取り込むことによって初めて成立します。ヒューマンエラーを発生させる原因の一つは、情報を獲得する過程にあり、視覚情報もその一つです。例えば物理的には動いていない線が、心理的に動いているとしか見えない現象が起こります。元々人間が環境に適応するために持つ特性が、ある意地悪な環境では裏目に出てしまうのです。私はこれを〝本能によって起こるエラー〟と呼んでいますが、いままでの原因追及対策では、この本能によって起こるエラーは防げません。ヒューマンエラーは人間が起こすものである以上、人間がどういう行動をとる生き物であるか、その特性を知ったうえで防がないといけません。る実験があります。小さなブースに複数の被験者を入れて、そのうちの一人が60秒間苦しむ演技をします。部屋にもう一人しかいない場合は3分以内に被験者全員が助けを呼びに人間は目、耳、鼻などから情報を獲得心理学の研究で、「傍観者効果」と呼ばれ労働災害予防のために〝本能によって起こるエラー〟を知ることが必要2023.92※1 死亡者数、死傷者数はいずれも新型コロナウイルス感染症への罹患による労働災害を除いたもの※2 三次救急…… 一次救急(軽症患者に対する救急医療)や二次救急(手術や入院が必要な重症患者に対する救急医療)では対応できない重篤患者に対して行う救急医療 宮城学院女子大学 学芸学部 心理行動科学科 教授 大橋智樹さん
元のページ ../index.html#4