エルダー2023年9月号
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東京近郊からも多くの人が訪れる秩父観光の玄関口、西武秩父駅から車で20分ほどの山間に長寿荘がある。利用者の笑い声が外まで聞こえてくるアットホームな養護老人ホームだ。ここを紹介した校長先生は先見の明があった。子どもたちのはじける笑顔に支えられ人生の大先輩たちとの出会い町■■田■ テル子さん第回■私は埼玉県秩■父■市生まれの秩父育ちです。学校を出てしばらくは会社勤めをしましたが、出産を機に退職、専業主婦として子育てに専念しました。2人の子どもたちが小学校高学年になったころ、子育てが一段落したこともあり、学校給食のパート職員になりました。PTA活動に参加するなかで、給食の職員に欠員が出て手伝ってくれる人を探していると聞き、子どもがお世話になっているから力になれればと、軽い気持ちで手をあげました。もともと調理は好きでしたし、子どもたちと同じタイミングで休めること、何よりも多くの子どもたちと触れあえることに魅力を感じ働き始めました。「いつもおいしい給食をありがとう」という可愛い手紙をもらったこともあり、とてもやりがいのある仕事でした。給食は子どもたちにとって楽しみの一つであり、給食室で出会う子どもたちの笑顔に励まされ、14年間働き続けました。切り替わることになったのをきっかけに退職することになりました。そのとき学校長が私を気遣ってくれて、「あなたならきっとできる」と紹介してくれた職場が長寿荘でした。歩いてきた道をふり返ると、さまざまな場面で多くの人に助けてもらってきたことにあらためて感謝したいと思います。秩父市社会福祉事業団が設立され、翌年4月に「秩父市立養護老人ホーム業運営を開始しました。同じ年の10月から私も長寿荘で働くことになりました。それからりしています。若い人たちと働くことを知り、福祉の経験がまったくない私に務まるだろうかと不安になりました。ただ、施設内のさまざまな部屋を案内してもらいミシン室をのぞいたとき、手芸好きの自分なら、ほころびを縫ったり、ボタンをつけたりできるとホッとしたことをいまも覚えています。また、娯楽室も紹介してもらい、みんなで民謡を踊ったり歌ったりする場所だと聞いて、ここでも私に何か手伝えることがあるに違いないと思えました。1998(平成10)年9月に社会福祉法人面接を受けたとき、私の息子世代のような2000年に「秩父市特別養護老人ホーム長寿荘」の事2023.938支援員14年経ったとき、学校の働き方がいろいろ20年以上という年月が経ち、自分でもびっく 町田テル子さん(74歳)は、養護老人ホームの最年長スタッフとして活き活き働いている。気がつけば四半世紀近い歳月が流れ、利用者の人たちに明るく接する姿は若い世代のお手本となっている。楽しいことが大好きな町田さんが仲間とともに生涯現役で働くことの魅力を語る。社会福祉法人秩父市社会福祉事業団養護老人ホーム 長寿荘高齢者に聞く85

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