エルダー2023年9月号
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大橋ある空港の管制塔の様子を見学した際、管制官が数㎞先から着陸しようとしている飛行機を指さして、「大橋さん、あの飛行機はあと何秒で着陸すると思いますか」と聞かれたことがあります。あてずっぽうで答え、もちろん大きく外れました。管制官は何秒で着陸するかが体に染みついていて、ちょっと遅いなと感じたら頭のなかで警報が鳴ると教えてくれました。つまり、標準が身についているからこそ、標準からの逸脱に気づけるのです。どれだけ多くの〝標準〟を備えているかが、どれだけ多くの〝逸脱〟を発見できるかに直結します。自分のなかに標準をつくるためには、座学の研修だけでは不可能です。「正しくない状態に気づく」ためには、何度も現場に足を運ぶ「現場百遍」が何より大切です。ただ、現場の責任者は、以前に比べて事務仕事が増えており、現場に出向く機会が減っています。標準の蓄積が以前に比べて薄れてきていることが気になっています。大橋原因に着目し、改善しなければいけません。一方で、うまくいっていることにも目を向けるという発想が、レジリエンス工学※6の分野で指摘されています。「成功からの学び」といってもいたってシンプルです。例えば、工場で何事もなく製品を製造し、生産性を上げていることの背後に、どんな工夫があったのかに着目するのです。作業者本人は自覚していなくても、「あのときうまくトラブルを回避していた」など、普通の行動のなかで工夫された点を学んで共有するという発想です。いまの安全衛生対策や安全教育は成功からの学びが少なく、よいことからの学び1割、悪いことからの学び9割となっている軸足を、2対8、ないし3対7ぐらいまで増やしてもよいのではないかと思います。理学』※5では、「標準な状態」を自分のなかに蓄積することが大事だと書かれていますね。―労働災害防止は失敗から学ぶことも多いですが、著書では「成功からの学び」の重要性も指摘されています。―「安全」と「安心」という言葉が日常的によく使われます。この二つの言葉についてどう考えていますか。(インタビュー/溝上憲文撮影/中岡泰博)もちろん労働災害が発生したら、その大橋「安全は客観的で、安心は主観的なものだからまったく異なる」という声もありますが、私は「安全も安心も主観」だと思っています。「安全」とは客観的なデータに基づいて線引きをしており、どこで線を引くかを人間が決めているのは間違いありません。一方、「安心」が自分の心や定性的な何かに基づいて線を引いているという意味では、両方とも主観的なものなのです。だから私は、日ごろから「安全を語るのをやめて危険を語りましょう」といっています。例えば、ある工事をする際に、「いままで同じ工事を○件しましたが、○日休業災害が1件起こりました」と客観的なリスクを伝えることが必要ではないでしょうか。安全な工事かどうかは受け止める側がどう考えるかによります。「安全な工事です」というからすれ違いが起こるのです。客観的なリスクを伝え、そのうえで安心を得られない人たちへの配慮が重要になるのです。「成功からの学び」を増やし従業員の安心・安全の確保を2023.94※5 『エルダー』2023年3月号「BOOKS」(57ページ)でご紹介しています https://www.jeed.go.jp/elderly/data/elder/202303.html※6 レジリエンス工学…… 内外のさまざまな要因に対し、状態を平常に保つための能力、あるいは早期に回復できる能力を備えた社会・システム実現のための研究に関する分野、リスクマネジメントに関するアプローチ手法 宮城学院女子大学 学芸学部 心理行動科学科 教授 大橋智樹さん

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