第回■■私は東京都国■分■寺■市で生まれ育ち、地元の中学を出ると大手企業の事務部門に就職しました。当時は、「女に学問は必要ない」という風潮が根強く残っており、私も高校進学をあきらめましたが、向学の思いは高まる一方で、学費をためて通信制高校に入学しました。退職を余儀なくされました。当時、「中卒は金の卵」といわれながらも、女性が長く働く道は開かれていなかったのです。結婚後、夫は国内・海外出張が多く不在がちであったことや、子宝に恵まれなかったこともあり、もう一度働こうと今度は造船会社の設計部門に就職しました。結論からいうと、定年まで32年間勤めあげたのですから、ご縁があったのだと思います。職業訓練校で製図を学び、設計や資材の仕事を担当しました。サラリーマン家庭に育ちましたが、なぜか昔から設計に興味があり、モノがどうやってつくられていくのか考えるとわくわくする変わった女の子でしたから、造船所での仕事は好奇心を満たしてくれ、楽しく働くことができました。働くなかで情報処理の勉強がしたくなり、今度は通信制の短大に入学しました。やりたいことをいつも追いかけながら今日まできたように思います。がら学ぶ日々が充実していました。しかし、人生は本当に何が起きるかわかりません。な出来事がありました。急に体に異変を覚え病院に行くと、医師に「すぐに、ご家族を呼んでください」といわれました。携帯電話がない時代ですから夫と連絡が取れず、とても心細かったことを覚えています。診断は乳がんのステージ4で、すぐに乳房を切除して人工胸を装着しました。命拾いしたものの、後々、卵巣や子宮への転移が見つかりましたが、闘病を続け病を克服し、こうして永らえていることにただ感謝しかありません。また、会社の上司が、治療しながら働くことに理解を示してくれたので職場に戻れました。いろんな人に支えられ、いまがあります。でした。人工胸周りの皮膚がかぶれてとてもつらく、同じ悩みを持っている人のために研究がしたくなり、1994(平成6)年に47通信制の短大に入学してからは、、働きな乳がんの手術後一番悩まされたのは、発汗背筋をピンと伸ばして、言葉をていねいに紡ぎ出してくれる「おばあちゃん」。時代の制約のなかでコツコツと道を切り開いてきた生き方に頭が下がる。さすが現役のピン芸人、話にグイグイ引き込まれた。向学の志を忘れずどんなときも前を向いて2023.1036ⓒYOSHIMOTOⓒYOSHIMOTOKOGYO KOGYO CO.,LTD.CO.,LTD.38歳のある日、突然目の前が暗くなるよう20代で結婚しましたが、結婚すると同時にピン芸人 ピン芸人のおばあちゃん(76歳)は、古こ希きを過ぎてからエンターテイメントの世界に飛び込み、笑顔でマイクの前に立っている。波乱万丈の人生を乗り越え、いま本当に自分がやりたかった世界で羽ばたく「おばあちゃん」が、生涯現役の醍醐味を語る。吉本興業株式会社お笑い芸人86高齢者に聞くおばあちゃん
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