水に落ちた犬は石で打て紀■伊■(和歌山県)藩主で伊勢松阪徳川将軍のなかではじめて、「江戸の市民の存在」に注目したのは、八代目の吉■宗■だ。 かれは、(この連中を政治・行政の対象にすべきだ)と考え、江戸町奉行をその任にあてることにした。選んだのは当時「伊勢山田奉行」だった大岡忠相だ。吉宗の前身はは紀伊藩の領地だったので、大岡のことはよく知っていた。吉宗は大岡を〝公正で誠実な人物〟とみていた。将軍になったので、(大岡を市民相手の町奉行にしよう)と心を決めた。ただ、慎重な吉宗は、すぐ大岡を町奉行にしなかった。任命前にテストをした。吉宗は、(市民には得■体■の知れない者もい白■石■だ。学者だが将軍つきのご意直■参■のなかには自分の娘と婚約■■■■■■■■る。ただ公正で誠実なだけではダメだ。ときには〝非情〟さも必要だ)と考えていた。だからテストは、「吉宗の求める〝非情さ〟が大岡にあるかどうか」ということだった。テストの対象に選ばれたのは新■井■見役として実務にも手を出し、権勢を振った。その態度がかなり強引なので、幕府役人は〝江戸城の鬼〟というアダ名で呼んでいた。が、仕える将軍が死んだため、白石も仕事を失った。権勢もすべて消えた。そうなると人の心はガラリと変わる。昨日まで腹にないことをいって接近していた役人も近寄らず、逆に悪口をいいはじめた。している者もいたが、ある日、人を通して断ってきた。 破談の理由は、「先生ご自身がよくご存知のはずです」とだけ告げた。要は、「権勢を2023.1132[第132回]
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